還暦Hanako世代とセカンドキャリアを考える

Hanako世代もいよいよ還暦。三人のHanako達に集まっていただきました。

「Hanako世代」とは、1959年から1964年生まれの「バブル世代」「新人類」と呼ばれた女性達であり、若い頃には当時人気の雑誌「Hanako」を片手に旺盛な情報収集力と消費意欲を発揮した世代である。同時に1986年に施行された男女雇用機会均等法導入の初期世代である。

今回は、20代のころから友達の3人のHanako達を迎え、座談会を開催。還暦=定年を迎えるHanako達は、自分達のシニアライフやセカンドキャリアをどのように考えているのか?
シニアのセカンドキャリア支援の第一人者、高平ゆかり先生にファシリテーターをお願いし、3人の本音を聞いてみた。

髙平ゆかり先生のプロフィールはこちらから

 1986年7月三菱商事と全日空出資の人材派遣会社:株式会社エム・シー・メイツへ入社。以来今日迄人材ビジネスに長年従事。特に高齢者雇用に係る高齢者派遣事業及び再就職支援事業、職業紹介事業、出向支援は1995年から従事。

 中高年を対象とした再就労支援では、クライアント(求職者)に合わせカウンセリング・コーチングの手法を用い「自律的キャリアマインド」を後押しし、多数の実績を残す。シニアの再就労、キャリア開発、多様な働き方への提言を行いつつ、若年層向けキャリア教育にも関心を持ち、現役高校生や大学生に向けた就職講座、キャリア講座も多数提供。職業人生の入口と出口の両面で自律的キャリア観の重要性について講演活動を行っている。

 2011年8月、高齢者の雇用創出事業に専念するため 高齢者専門の人材会社㈱マイスター60へ転身。2013年シニアインターンシップ2014年おもてなしシニア隊、2015年公務員人財セカンドキャリア支援事業等、定年世代の職域開発、新たな活躍の場を創出する事業開発に精力的に従事。2017年7月同社グループ取締役を退任し独立。現在に至る。


立木さん(仮名) 現在59歳

団体職員。 勤続約20年。人事を担当し、総務人事部長となり、昨年役職定年を迎えた。 現在は、キャリアコンサルタントの資格をとり、社内で社員のキャリア形成支援を担当。
独身で姉と同居している。姉と分担して、独居の母の様子を見ている。
趣味は登山で最低でも月1回は行っている。ゴルフもやっていたが、コロナで休止中。

加藤さん(仮名) 現在59歳

外資系企業勤務。 勤続20年以上で、プロジェクトマネージメントが主たる業務。 英語が堪能、海外との事業の関わりが長い。
夫はフランス人で、50才を過ぎてから結婚。夫には持病があり、今は同じ職場で英語教師をしている。
故郷の函館に家を買い、テレワークが可能なため、年の1/3は函館で過ごす。

藤田さん(仮名) 現在60歳

23年間勤務した会社を昨年3月に退社し、雇用保険を受給し、充電中。 現在は、映画、プール、友人とのランチを満喫中だが、12月から就職活動を始めて、今年から仕事をするつもり。
単身で、独居の母のところに週に2回、様子を見に行っている。
趣味はアジア映画鑑賞とラグビー観戦。


「Hanako的DNA」って?

若いころ彼女たちは、「明るい明日が来る」と信じられる時代の中を生きてきました。
お金も将来も何とかなる、人生を楽しもうという楽観的・楽天的な意識のなかで、20代を謳歌していました。

髙平先生

皆さん、若いころはどんな生活を送っていましたか?

立木さん

バイトでも時給が高くて、バブリーだった。そんなに難しい仕事でもなかったのに・・。暇さえあれば海外旅行に行っていた。タイから朝に帰ってきて、そのまま出社したりとか(笑)

加藤さん

非正規であることに特に不安は感じなかった。親にいい加減にしろと言われて、仕方なく就職しました。銀座で映画を見て、そのあとはいいレストランに行ったりしていました。モノへの欲求はなかったが、旅行には行きたかったですね。

藤田さん

電車の時間を気にせず、お酒を飲んでいました。会社に行くのに30分、帰るのに3時間と言われるくらい、まっすぐ家には帰りませんでした。残業代もつくし、完徹もよくしてましたね~。最初の仕事を辞めて、2年間位、バイトをしたりブラブラしていました。編集長以外全員フリーという職場で仕事をしたことがありますが、当時はフリーも羽振りが良かったのです。

Hanako的DNAとは・・・

  • 将来への不安を微塵も感じていなかった
  • 海外旅行への意欲が旺盛だった
  • バイトでも派遣でも、バブリーにお金を稼げた
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