シニア対談/服部真湖さん

海外との関わり方

増田

海外にもたくさん行かれていますが、もともと海外に行きたいと思っておられたんですか。

服部真湖さん

母は洋画が好きで、私は小さいときからテレビで一緒に観ていました。洋画の中に出てくる海外の生活に憧れを感じて、留学したいと思っていました。
12才の時に、20才までに4カ国語マスターして世界中を飛び回ると決めていました。
人形町の本屋さんに、小さくて薄いイタリア語入門、スペイン語入門、フランス語入門という本を売っていました。それを買って、独学で勉強していました。モデルになった後は、ファッションショーなどで海外のモデルさんと接する機会があると、一生懸命、耳から聞いて外国語を学びました。
当時、中川三郎先生のところで、スイス留学のエージェンシーのようなこともやっていました。とても費用が高かったのですが、フランス語も英語も学べるので、スイスに留学したいと思っていました。

母には「行きたいなら自分で稼いで行けば。」と言われました。働き始めた理由には留学費用を貯めるということもあったのです。

芸能界で働くのは期間限定と思っていたので、そこにどっぷりつかることはなく、いろいろなことを冷静に見ることができました。その後、仕事が忙しくなり、結局スイスには行けなくなりました。

でも、18才の時に1年間ニューヨークに行くと決めて、21才の時に実際に行きました。

増田

その当時は人気絶頂のタイミングですね。よくニューヨークに行けましたね。

服部真湖さん

カネボウのキャンペーンガールに抜擢されたことがきっかけで、芸能界で仕事をするようになりました。知名度が上がり、どこに行っても、「マコさん、マコさん」と言われ、良くしていただきました。テレビ局に行っても偉い方が玄関で待っていて挨拶してくださるようになりました。

でも、何かおかしいなと感じました。居心地はいいのですが、このままでいると勘違いして、奢ってしまうと思いました。

実際にそこに甘んじておかしくなる方も見てきました。それで、誰も知らないところに行って、自分を試そうと思いました。周りからは、「仕事がたくさん来ているこのタイミングなのに、どうして?」と言われましたが、3年ほど時間をかけて、番組をおろしてもらうなど仕事を整理しました。

ニューヨークに行ってみたら、アジア人に対する人種差別もありました。自分がきちんと行動しないと風当たりが強いということを経験しました。

また、自分の生活費として30万~40万円しか持たずに行ったので、東京での贅沢な生活とは打って変わり、生活を切り詰めました。1ドルのバス代を節約して、1個1ドルのベーグルで、1日過ごすような生活でした。これが現実なのだと実感しましたが、こういったチャレンジが楽しかったんです。1年間があっという間に過ぎて、日本に戻りました。

増田

その後も、海外で活躍されていますね。

服部真湖さん

ニューヨークから戻ってきても、アメリカに行きたくて、結局またニューヨークに行きました。

「料理天国」という番組でご一緒した芳村真理さんから、「夜のヒットスタジオ」という番組で、海外から生中継するコーナーができるというお話が出ました。そのコーナーを6年間担当させていただき、アメリカやロンドンから中継する時にレポーターや通訳をつとめました。当時の私は海外のアーティストにインタビューするバイリンガルの人というイメージだったと思います。また、「世界ふしぎ発見」やそれ以外の旅番組の仕事もしていましたので、95~96カ国行っています。そのころは、日本、アメリカ、その他の国、それぞれ三分の一ずつ滞在しているような感じでした。

その後、「はなまるマーケット」のレギュラーになった時には、生活のベースを日本に移していました。

増田

今の拠点はどちらになりますか。

服部真湖さん

アメリカで結婚し、子どもをもうけました。子どもが小さい時の教育は日本で受けさせたいと思い、それで一旦拠点を日本にしました。
日本の学校では、勉強以外に、掃除当番・給食当番などから、共同生活するときの気遣いや社会性が身に付きます。娘には、そういう経験をしてほしかったのです。
その後、娘はアメリカの大学に行き、今はアメリカで結婚しています。娘が心配するので、年3回位アメリカと日本を行ったり来たりしています。日本に帰ってきても、母はもういないのですが。

増田

12才の時から自分の進む道を自分で決めてきた服部さんから見ると、日本のどのような点が気になりますか。

服部真湖さん

私は日本の文化、アメリカの文化の両方を見てきたので、自分なりの世界観があります。

日本の社会はひとつのものにわーっと行ってしまいます。羊と一緒で皆同じ方向にぞろぞろ行きますね。子ども本人がどうしたいかを考える前に、大人が道しるべを作り過ぎだと感じます。例えば、3才から英語教育をするのではなく、私の経験からすると、6才位までに、日本のことを教えるとか、世界との違いを教えるとか、ルーツを作ってあげるほうが大事だと思います。子どもにとって、選択肢を増やすことをしたほうがいいと考えています。


海外から見ると、日本の子育ては、子どもに甘いと感じます。親が子どもの言いなりになってしまっている印象があります。何で子どもにもっとビシッと言えないんだろうと思います。日本では、親のほうが子どものスケジュールに合わせることが多いですよね。つい何でもやってあげたくなってしまいますよね。だから、子どもが自分で考えなくなってしまうんだと思います。


日本では、親になるとお父さん、お母さんになってしまい、夫婦や個人ではなくなっています。そうすると、親は自分としての時間がなくなってしまいます。親は自分がハッピーじゃないと、他の人をハッピーにすることなどできないと思います。


私は母に「子どもが一人しかいないなら、三人目の子どもだと思って育てなさい。放っておきなさい。」と言われていました。それ位でないと、子どもは自分で考えなくなってしまうんです。

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