はからずも歯車が回り続けた人生

今回、お話をうかがったアクティブシニアはクラシックレーベル「ディスク クラシカ ジャパン」代表をつとめる仙波知司さん(71)。フルートを宮本明恭氏(当時NHK交響楽団首席)に師事。立教大学フランス文学科を卒業。

在学中は作曲家・松平頼暁氏、音楽評論家・三浦淳史氏、バロック音楽研究家・皆川達夫氏に私淑。久保田宣伝研究所コピーライター養成講座・専門コース終了。コピーコンクール金賞受賞(雪印チーズ)。1973年コピーライターとして広告代理店勤務。1975年東芝EMI入社。1991年「ジャズを聴きたくて」シリーズ、1992年「おめでとう紀子さま」 2作品で東芝EMIヒット賞、1999年「葉っぱのフレディ-いのちの旅」で「日本レコード大賞・企画賞」受賞。2000年エイベックス・グループに入社し「avex io」設立。2006年ディスク クラシカ ジャパンの立ち上げに参画。

ーまず『葉っぱのフレディ-いのちの旅』(レオ・バスカーリア作 みらい なな訳 童話屋刊)からお聞きしたいのですが、2度CDを出されていますね。

そうですね。1度目は森繁久彌さん(1999年 EMIミュージックジャパン)、2度目は宇崎竜童さん(2021年Disc Classica Japan)に朗読をお願いしました。

1度目は、私はそのころ2人の娘のために子供ものを創っていて、児童文学の動向も気にかけていました。この作品をCDにできたらと思い、出版元の童話屋さんに話をしました。さて、どなたに朗読をお願いしようという段になって、それなりの人生を過ごした役者さんにお願いしたく、森繁さんに頼めないかと思ったのです。

ただ、息子さんを亡くされたばかりで気落ちされているだろうから、難しいかなと。とりあえず、本と一緒に手紙を出しました。忘れたころにお返事をいただきました。“本に感動しました。朗読しましょう”。

親より子供が先立つことを逆縁と言いますが、“この本に出合ってもう一度生きてみよう”と、森繁さんに言っていただいたのです。それがきっかけで、“青森に日本酒を飲みに行こう”と豪快なお誘いを受けたりもしましたね。

2度目は、それから約20年後です。ピアニストの德川眞弓さんがコンサートをすることになり、“葉っぱのフレディを演奏したい”と相談されたのです。コンサートをされるのならCDも出そうと決めました。

新型コロナ禍で、背中をヒリヒリすり合わせているような時代です。出す意義があるはずと思ったのです。朗読をどなたにお願いするかこれもいろいろ考えましたが、宇崎さんにしました。

たまたま観た最新映画『痛くない死に方』でも「死」に向かって名演技をされていた。時を経て、同じものを2度出したのは初めてですね。

ープロフィールを拝見すると、いくつもの転機がおありになりますよね。
その辺のお話を聞かせていただけますか。当ホームページを見られている方の参考になればと。

音楽が好きでしたので、中学からフルートを習っていました。高校の時、三浦淳史さんという音楽評論家にお尋ねしたいことがありました。先生はクラシックの主流であるドイツ音楽より、スペイン、イギリスやアメリカの音楽が好きという音楽界では異例の方でした。レコードのライナーノートを多く書かれていて、お名前はよく存じてあげていました。

本を見て住所を調べ、いきなりお訪ねしました。当時は個人情報を簡単に載せていたのですね。中野の喫茶店でお会いしました。今考えると「よく会っていただけた」と思うのですが、リタイアした後のいい息抜きだったのかもしれません。それから週に一度はお訪ねし、音楽のお話をお聞きしました。コンサートのチケットもいただいたものです。高校生でしたから、とても助かりました。

ー高校生でよく突然行かれましたね。ふつうは尻込みするでしょう

それからも懲りずに何度もそんなことをしました。

松平頼暁先生は立教の理学部教授で生物物理学者ですが、著名な現代音楽作曲家です。大学は仏文科を選びましたから物理とはなんの関係もないのですが、やはりいきなりお訪ねし作曲を教わりました。

皆川達夫先生はやはり立教の先生で、著名な西洋音楽史家です。もちろん音楽のお話をお聞きしたのですが、オシャレで博識な方で、香水のことから蕎麦の食べ方、カトリック修道院の生活まで、いってみれば人生の奥行きみたいなものを教えていただきました。

ー音楽へ進むのかと思うと、コピーライターになられるのですよね

そう、最後になった「日宣美展」で、アートディレクターの浅葉克己さんのポスターを見たのです。感動しました。コピーで時代を変えられると思ったのです。手紙を出しました。銀座の事務所に来いということで、伺いました。10枚しかないそのポスターをいただきました。

久保田宣伝研究所コピーコンクールの金賞も受賞していましたし、浅葉さんの作品のようなことをしたいと広告代理店に入社しました。でも、大きな仕事は回ってこずに地味な日常の連続でした。まあ、新人なので当たり前ですが。

そんなとき、“はからずも歯車が回る”ということがありました。“あいつは音楽が好き”ということが社内に知れ渡ると、音楽関係のラジオ広告の仕事が来ました。そして、それが縁で東芝EMIに出入りするようになります。実は新卒で広告代理店に行く前に東芝EMIを受けたかったのですが、そのとき新卒は採ってないということであきらめていました。

ーようやく音楽関係につながった

EMIの洋楽編集室で、デザインの重要性や帯の制作のコツなどたくさん教わりました。そして”うちに来ないか”と言われたのです。考えてみれば、ずっとそうでした。はからずも歯車が回る。相手の懐に飛び込むと、結果そうなるのです。

半年アルバイトをし、正社員に。ライナーノートや帯を作りました。営業企画の時にはお客様のニーズからレコードを作ることを覚え、社内コンペでいくつもの企画が通りました。それから自分のセクションを作っていただきました。

そんななかで『ぞうのババール』(評論社刊)を忌野清志郎さんに朗読していただき、CD化しました。新聞にも取り上げられ、よく売れましたね。佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』(講談社刊)を大竹しのぶさんに朗読してもらったり、『ピーターと狼』(評論社刊)のナレーションを明石家さんまさんにしていただいたりもしました。そうそう、佐野さんがさんまさんと大竹さんの仲を取り持つことにもなったのでした。人とのつながりは、計算を超えて生まれるものなのかもしれませんね。

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