若い人には「俺が若いころはなぁ」とは絶対に言いません(笑)
― ここからは、2019年に63歳で入社された輿石役員に、就職する側からのお話も聞きたいと思います。まず、今までのキャリアをお聞きします。
広告代理店のグループ印刷会社に入社して、最初は製版やレタッチの仕事から始まり、その後営業部に配属され親会社に駐在して印刷物や販売促進物の管理業務をおこなったりしていました。そして38歳の時にDTP(デスクトップパブリッシング)というシステムがアメリカから入ってきました。
―アナログからデジタルへの変換ですね。
そうです、革命的な出来事でした。今まで写植で組んでいた版下や製版作業がすべてパソコン上で出来るようになって「これからはデジタルだ」という流れになって、デジタル作業に従事するようになりました。
そのうち親会社がグループ会社である印刷会社と製版会社を合併させて、新しい会社を作り、その会社のデジタル事業本部の部長に就任しました。デジタル業務の立ち上がりからずっと関わってきたので、こう見えて私はこの業界では結構有名人なんですよ(笑)
最終的には新聞広告製版とWEB制作をメインとする別のグループ会社の社長になって、63歳で定年となりました。
―定年後も働く意欲はありましたか。
ありました。でも、ずっと印刷関連の仕事だったのでまったく違う仕事をやりたかった。社会に還元したかったし、特に地域に貢献したかったので、そのような職業に就くため定年の半年前から就職活動をしていました。履歴書もたくさん提出して、面接もたくさん受けました。
でも、受けたところは全部落ちました。早く決まるだろうと思っていたので、結構がっかりしましたね。落ち込みました。そんな時、知人が奥村印刷を紹介してくれました。
―また同じ業界に戻りましたね。
面接の時、奥村社長から「当社は古い印刷会社の体質のままなので、新しい体質に変えたい」「他所から入ってきた人に助言してもらいたい」と言われ、更に「デジタル印刷や印刷周辺領域、WEB制作を強化したい」とも言われました。それなら今までのキャリアを活かして要望に応えられると思って、入社することにしました。
―実際、入社してみて感じたこと、おこなったことは何ですか。
以前いた会社と売上規模、従業員数はそんなに変わらないので、それほどの違和感はありませんでした。ただ、社内の規定や規約が少し古く時代に合っていなかったので、まずそのあたりから手を付け始めました。
他にも、若い社員の人たちとデジタル時代のお得意様とのコミュニケーションの取り方とか、色々と話し合いをしました。自分としては社会への恩返しの意味合いもありますね。
―新しい会社に入られて、若い社員と接するときに、気を付けたこと、注意していたことは?
以前いた会社でも気を付けていたことでもありますが、若い社員に対して「俺が若い頃はなぁ、もっとちゃんと仕事していたぞ」ということは絶対言うまいと思っていました。
時代も環境も違うので、自分の頃とは単純に比較はできないですよね。自分が過ごした時代を若い人は知らないから、そんなこと言われたって若い人にしてみれば「何言ってんだ」という気持ちになりますよね。
―あくまで若い人の目線で、その人たちの立場になるということですね。
そうです。そこは常に気を付けています。そうしないと価値観の押し付けになる。
けど、つい言いそうになる時があるけど、そこはグッとこらえます。
―定年後も働く意欲のあるシニアの方たちに何かアドバイスはありますか?
今までのキャリアを活かす働き方もあるけど、ガラッと会社や職業を変えて、リスタートする働き方もあると思っています。
思い切って60歳で今の会社を辞めて別な会社に入るとか、全く別な職業に就くのもいいかもしれませんね。先ほども言ったように、私も最初は全く違う職業に就くつもりでした。その願いは叶わず、最終的にはキャリアを活かせる仕事を続けることになりましたけど、その様な働き方もあるかと思います。
―何歳まで働く予定ですか。
健康であれば70歳までは働きたいですね。でも70歳になったらさすがにもういいでしょう。残りの人生は自分の好きなことをやって過ごしたいですね。海外旅行とか、悠々自適に(笑)。
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