40代でIT系エンジニアから小説家に転身した阿川大樹さん。小説家として死ねれば本望(笑)

転職後も多忙を極める日々。人生を考えるきっかけとなった友人の死

アスキーでは、どのような仕事をしていたのですか。

僕が入った直後に上場して、西(和彦)さんのところにベンチャー企業から投資の話がたくさん持ち込まれるようになっていました。その中に、シリコンバレーのベンチャー企業があって、どうするか相談されました。「面白いと思いますよ」と言ったところ、そこの責任者を任されることになったんです。上場に向けていろいろチャレンジし、やり切ったと思った時に、その会社を閉じました。

そこから、小説家の道へと進むわけですけれど、どうして“エンジニアから小説家へ”だったのでしょうか。

高校の同級生が亡くなったことが、少なからず影響しています。その友人はすんなり東大に入って、外交官になるつもりでいたのですが、外交官試験に落ちてしまったんです。結婚相手が医者の娘だというので、相手の実家の医院を継ぐために、次に医学部を目指したんです。でも、医学部には受からなくて、結局、歯科医になったんです。そういう経緯を経て、ようやく自分の診療所を持てるというタイミングに、通勤途中で自分の車で事故を起こして亡くなってしまったんです。やりたいことがあったけれど思い通りにはいかなくて、でも、すごく遠回りしてやっと落ち着くべき場所ができたという時に死んでしまって・・・。

じゃあ、僕は死ぬときに、「何者でいたいか?」と改めて考えたんです。エンジニアの仕事をやって、アメリカで会社も作ったけれど、中学生のころから、小説家になりたいと思っていたなと。

エンジニアとして日本とアメリカを行き来しながら、小説も書いていたけれど、時間も足りないし、体力ももたない。その状態だとやはりプロになるのは難しい。手掛けていたベンチャーの仕事が落ち着いたタイミングで、小説家の道に舵を切ろうと決めていました。

順風満帆とはいかなかった小説家としての滑り出し

その時、すでに40代前半になっていて、小説家として成功する確証はないですよね。

「貯金が150万円しかなくなったら、小説家は諦めよう」と決めて、リスク管理をしていました。150万円あれば、何カ月間かは食べていけるので、その間に次の仕事を探せると踏んでいたんです。僕の場合、妻が自立していたので、自分の生活だけを考えればよかったのも大きかったですね。

42才のときに、専業小説家志望者として新人賞に応募する生活が始まりました。1999年に幸先よくサントリーミステリー大賞の候補になりましたが、大賞には届かず・・・そこからが長かった。2005年に『覇権の標的(ターゲット)』でダイヤモンド経済小説大賞優秀賞を受賞し、9年かかってようやく作家デビューを果たしました。

2007年には、『D列車でいこう』がベストセラーになっていますね。

ダイヤモンド社の賞をとっても、文芸の世界では次の作品にはつながらないんです。それで、日本推理作家協会に入り、そこのソフトボール同好会に入って、編集者と接する機会を作ったんです。

編集者と試合をして、その後の懇親会に顔を出して、名刺を配ったり、ダイヤモンド社から出した自著を贈ったりしていました。

その縁で、徳間書店の編集者と会う機会を得て、僕が温めていたアイデアを話したんです。「それ面白いから、本にするよ」ということになって、それが『D列車でいこう』です。重版がかかって6万部売れ、文庫化もされました。やはりソフトボールが良かったんだと思います(笑)。

その後、実業之日本社から出版した『終電の神様』がすごく売れ、その2作目も売れて、ようやく一人前の作家になれたと実感するようになりました。

そこに至るまでまあまあ時間がかかっていますが、不安は感じなかったのでしょうか。

確かに小説家と言えるようになるまで、なかなか辿り着かなかったのですが、デビューできないと思ったことは一度もなかったんです。そこは才能だと思う。小説を書く才能ではなく、不安を感じない才能。僕がくよくよしない人間かというと、決してそんなこともなくて。でも、この件に関しては、全然迷ったことがなかったんです。考えることといえば、小説家にチャレンジする期間を長くするために、いかに節約するかぐらいでした(笑)。

読者と共感し合いたいという願望が書くことの根源

阿川さんにとって、そもそも小説家って何なんでしょうね。

読者と僕で共感し合いたい、という欲求が根底にあります。もちろん、読者が共感してくれている現場に立ち会えるわけじゃないのですが。

「あっ!ここに真理をついた一行がある、この本を読んで得した」と共感してもらいたいと思って書いています。大きな物語の枠も大事なのだけれども、僕の向こう側には万単位の異なるキャラクターの読者がいて、その読者それぞれに共感してもらえるように、ミクロな部分にこだわって行を埋めていっています。

現在はどのようなペースで書いているんですか。

そもそも書くのが遅いので、1年に1冊位しか書けないんです。それに70代になって、頭も悪くなってきて、書くペースも落ちてきています(笑)。書きたいものはたくさんあるけれども、このペースでしか書けないから、形にならないまま終わるものがほとんどなんだろうなと思っています。

最後はやはり小説家ですか。

そうですね、小説家として死にたいと思っていましたから。

でも、次の次の作品あたりになると、考えるのがしんどそうだなぁ。小説は書いている時、ほとんどの時間が楽しくないんです。音楽なら、練習も本番も、演奏している瞬間がずっと楽しいけれど、小説は楽しい時間が少ないんです。

そう考えると、最後はミュージシャンがいいかな。ギタリストか、最近はピアノも弾いているので(笑)。

<編集後記>
阿川さんは、人生の中間地点にさしかかるタイミングで、「死ぬときに何者でいたいか?」という自分への問いをきっかけに、舵を大きく切りました。人生の終わりに向けて、“何者”とまでいかないまでも、“どのような存在でいたいか”を意識することは、より充実した人生を生きることに繋がりそうです。特に、プレシニア、シニアにとっては、今後どうするかを考える指針になるはずです。 (取材・起稿 谷口明美)

阿川大樹さんの著作はこちらから

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