埼玉県蓮田市と伊奈町でデイサービス(通所介護)を提供する「和が家グループ」。“認知症になっても安心して自分らしく生きられる”ことを支援する介護を目指す同グループの代表を務める直井誠さんにお話をうかがいました。
―どのような経緯で介護に関わることになったのですか?
大学時代は1年休学して、海外を放浪しながら、ボランティアをしたりしていました。大学を卒業後、タイやフィリピンなど発展途上国で、日系企業に入り、通信関係の仕事をしていました。20代前半は、どういう生き方をするのか考える時期と位置づけて、広い世界を見たいと考えていたのです。その経験の中で教育の大切さを痛感しました。
20代後半は、日本に戻って教育の仕事をする目的でリクルートに入り、高校生向けの教育事業を担当しました。夜討ち朝駆けのような仕事の仕方で、寝る暇もないほど働いていました。1000本ノック状態で鍛えられ、リクルートでの経験が現在の自分の礎になっています。リクルートでは青少年の生き方やキャリアについて改めて考えました。
30代前半は、友人と京都で、教育事業を立ち上げました。これからは、中国やアジアの時代だと考え、中国語、ハングル語などの外国語学校を始めました。その後、大阪、東京へと広げ、会社を大きくしていきました。そこではやりがいを感じ、同時に起業の大変さを学びました。一度起業したことで、事業を起こすことへの精神的なハードルがなくなりました。
「介護」の仕事に関わる事に決めたのは30代中頃です。私の兄は障害があって、私にとって元々「介護や福祉」は身近なことでした。さらに、私の母は片親で、その母が病気になりました。それまでは自分のやりがいを中心に生きてきたのですが、人生を考え直す事になりました。
母と兄のことをきちんと考えないと後悔すると思い、二人のことを考えながら仕事をしていきたいと考えるようになりました。それが、介護の世界に入ったきっかけです。
それまでリクルートでやってきたこと、教育ベンチャーでやってきたことのどちらも、人を支援し、人が元気になることを目指していました。私は人を支援することに興味があるのだなと気づきました。
私は、それまでやってきたことと、介護の世界でやりたいことに大きな違いを感じていません。介護では、どうやってその人らしく生きられるかということを支援します。対応する相手が高校生なのか、高齢者なのか、あるいは、障がい者なのか、どのタイミングの人を支援するかの違いだけです。
介護に関わっていく中で、認知症の問題にぶつかりました。認知症で悩んでいるご本人、ご家族がとても多いということを改めて認識し、認知症の事を深めていくようになりました。
―私の母も認知症です。骨折したのを機に認知症が一挙に進み、結局介護施設に入ることになりました。自宅に戻すか、介護施設を選ぶかで、とても悩みました。
高齢者の場合、1回の骨折で大変なことになります。病院という日常的な環境ではないところにいると、高齢者は不安になり、混乱が起き、認知機能に異常をきたす方も多くいます。又、歩行にリハビリを要する方も多いです。高齢者にとっては、介護する家族、介護サービス、地域の理解などの協力を踏まえ、病院から早く出して自宅に戻すのがいいと考えています。
認知症ケアに関わってみると、介護従事者でも、認知症のことがわかっている方は多くはないんだなと感じました。認知症患者は約600万人とも言われ増えていますが、認知症ケアの広がりはまだまだです。
日本中を周って、いろいろな先生からお話を聞いて、学びたいと思いました。認知症について学んでいくうちにどんどんハマっていき、大脳のことや人が元気になる仕組みが理解できるようになりました。知識を得て、どんなケアをすればいいのかを考え実践すると、自分のケアで相手の方の生きる張り合いが変わってきます。それを人にも伝えたいとも思うようになりました。