株式会社高齢社は、東京ガスOBの上田研二氏が立ち上げた企業です。定年した高齢者(主に65才以上)を対象にした人材派遣業をおこなっており、“高齢社”というユニークな会社名が目を引きます。東京ガス関連企業との取引を皮切りに事業を展開されていますが、東京ガスとは資本関係はないとのこと。
高齢社の現社長・村関不三夫氏に、会社立ち上げの経緯や、事業の現状、シニアが働くことのメリットなどについてお話をおうかがいしました。
ー株式会社高齢社を立ち上げたきっかけを教えてください。
高齢社は、2000年に上田研二が62才の時に創業しました。上田は東京ガスの検針員からスタートし、東京ガス子会社の社長にまでなった人物です。その上田が東京ガス子会社、東京器工の社長だった当時、新築マンションのガス機器の点火確認や内覧会業務をおこなう人材の確保に苦労していました。新築マンションの内覧会は土日に集中します。そこで、「定年した先輩たちが暇を持て余している」「経験豊富で気力・体力もあるのに、もったいない」「お金が欲しいわけではないが、何か働ければと思っている」といったことに着目しました。こうした先輩たちに、業務を手伝ってもらおうというのが起業のきっかけです。また、上田が90年代に当時の通産大臣・橋本龍太郎氏の講演を聞き、高齢者の働く時代を予感したことも後押しになりました。上田には先見の明があったと思います。上田はその後、パーキソン病を発症しましたが、頭はしっかりしていて業務を続けていました。残念なことに、上田は今年5月に84歳で亡くなりました。
上田は高齢社という名前にこだわりが強く、反対されても押し通しました。この名前のおかげで、宣伝をしなくても、人が集まってきます。
ー創業以来の業績はいかがですか?
2000年には登録者25人でしたが、本日(2022年7月4日)時点では登録者は1046人です。そのうち、397人が就労していますから、約4割が就労していることになります。登録者は65才未満もいるのですが、登録者の数は65才を過ぎると跳ね上がり、70代前半まで伸びています。因みに登録者の最高齢は84才、就労している人の最高齢は82才です。
2012年に登録者の数が増えましたが、これは上田が「ガイアの夜明け」や「カンブリア宮殿」などマスコミに出たことの影響です。そのタイミングで一挙に東京ガスと関連のない一般登録者が増えました。そこからは東京ガス関連以外の派遣先も探すようになり、現状は東京ガス関係6割、それ以外4割という風になっています。
売り上げは右肩上がりに伸び続けて、2019年に7億を超える売上高になりました。2020年にコロナで売り上げが落ちましたが、コロナのこの時期を底にしてまた伸びていくと考えています。
ー高齢社では、皆さん、どのような働き方をしているのですか。
高齢社の登録条件に年齢制限はありません。第一定年が60才ですが、基本第二定年で退職をした65才以上が中心です。それと「気力」「体力」「知力」がある方ということになっています。また、原則、定年はありません。派遣先がきちんと働けていると判断すれば問題ありません。
勤務形態は週3日程度です。ひとつの仕事を二人以上で分担するワークシェアリングの形をとっています。たまたまなのですが、ワークシェアリングだったために、コロナで濃厚接触者が出てもうまく機能しました。また、シニアは朝早い仕事が得意です。早朝のレンタカー会社の受付などは正社員だけでは回しきれないので、早朝から昼までのシフトをシニアが担い、それ以降を若い人が担うというタイムシェアリングという形もあります。
収入に関しては、年金があるので、すごく働かなくてはならないというわけではありません。そこそこお金が稼げればいいのだと思います。
日本産業カウンセラー協会の会報に、高齢者の幸せの三条件が載っていまして、引用します。その三条件とは「健康であること」「社会(もしくは人)と繋がっていること」「そこそこお金が稼げること」。私自身にしても、今は、出世したいという気持ちはありませんし、住宅ローンや子どもの教育費など肩に重い荷を背負っているわけではありません。同僚がよく言っているのですが、私たちシニアは人生の第4コーナーを周ったところで、これから急加速することはありません。65才以前と以後で働き方は変わってきます。私たちシニアは日々幸せに過ごすためにはどうすればいいのかを考えましょうという時期だと思います。週3日働くということは平日でもゴルフに行ったりして遊べますし、会社に行けば友人に会えて飲みに行くこともできます。そこそこお金が稼げれば孫にお小遣いもあげられます。高齢者の幸せの三条件は働いているからこそできるのです。