シニアは若い人に席を譲るべきと潔く退職
新卒で入社した大手百貨店を定年まで勤め上げ、すっぱりと退職した宮本光一さん。75才になった今は、ホームセンターの資材課での仕事の他に、デイサービスの送迎の運転、シルバー人材センターを介しての大工仕事と退職前と変わらぬ忙しい毎日を過ごされています。
「百貨店での仕事はストレスも多かったですが、休みもなく、家庭も顧みずに働いていました。法人外商の担当として、いくつもの百貨店と競争する入札もあり、どのように人脈を作るか、どうやったら勝って受注できるかを考える毎日を過ごしていました。でも、営業成績で業界一を10年間続けられたことが私の誇りであり、自信でもあるのです」
郊外の支店から始まった宮本さんのデパートマン人生。本店に異動後、58才まで本店に勤務し、58才の時に子会社に異動されたとのこと。そこで取締役管理本部長を2年間務め、60才の時に退職。
「仕事を続ける気力や体力があったかもしれませんが、いつまでも年寄りがのさばっていてはいけない。若い人に席を譲るべきと潔く退職しました」
子どものころから、マンガや絵を描いたり、工作したりするのが好きだった宮本さん。模型作りも好きで、木造で戦艦大和を何十隻も作っていたそうです。そういった子供時代を過ごしていたこともあり、実は退職後にやりたいことも決まっていたのです。
「自分の手で家を建てたかったのです。とにかくモノづくりが好きで、就職する時にも、どちらの方向に進むか迷ったほどでした。しかし、その段になってみると、母の介護をしなくてはならなくなり2年半は着手できませんでした。結果、母の介護が終わった63才から2年間かけて、富士山が見える場所に家を建てました」
本当は日本建築を造る予定であったものの、身体が動く65才までに家を完成させたかったことから、建てるのが簡単なログハウスに変更されたとのこと。
「中古のユンボも購入して、敷地の整備も自分でやりました。こういうことをやりたくて仕方なかったのです。ログハウスの組み立てはログ材が長くて重いので、大工さんに一緒にやってもらいましたが、内装や外装はコツコツと一人で半年間位かけてやりました。しかし、さあこれから楽しもうという時に、妻が病気になってしまい、今度は妻の介護を4年半しました。昔はログハウスによく行っていたのですが、一人で行ってもつまらないので、昨年ログハウスは処分してしまいました」
退職後も変わらぬ忙しい日々
就職以降、ずっと忙しい生活が続いている宮本さん。暇にしているのが性に合わないということで様々な仕事を今も請け負われています。
「妻が亡くなった後に、知り合いからデイサービスの運転手をやってくれないかと言われました。運転するのが好きなので引き受けました。その後、ある人からホームセンターの資材課の採用試験を受けてみないかと言われたのです。モノづくりが好きですから、もちろん受けてみました。結果、今はホームセンターで週2~3日仕事をしています。ですので、1週間のうち、水、木、金、土の四日はこの二つの仕事で埋まっています(笑)」
この四日以外はのんびり過ごされていると思うところですが、バイタリティ溢れる宮本さんは残りの三日も働かれているのです。
「シルバー人材センターにも登録していて、そこから大工仕事が舞い込むので、日、月、火に受けています。1週間フルで働くこともあって、クタクタになります。シルバー人材センターからくる大工仕事は、専門の大工さんがやらないようなスキマの作業で手間がかかるものが多いのです。でも、70代、80代、90代の一人暮らしの方が困っているのを見ると、引き受けてしまうのですよ」
宮本さんが登録している八王子のシルバー人材センターの登録者数は2600人。大工仕事をやれる人が少ないということで、宮本さんが引き受けたものの着手ができていない案件もあるそうです。
「人材センターからは大工さんでもできないような仕事がくることもあるのです。10日間位どうしたら安く、早くちゃんとできるのかを色々と考えます。ですから、チャレンジしてできた時の喜びはすごく大きいです。誰かに強制されているわけでもなく、自分が好きでやっているのですから」
ただ、毎日ベストを尽くすだけ
「ずっと忙しくしているというのは、私の場合、糖尿病なので動いていたほうがいいということもあります。働いていたほうが健康にいいのです。また、年金と預貯金で暮らしていて、それで生計は立てられるのですが、収入があるのはありがたいです。お金があればいろいろなことができますから。それに時間が潰せるというのも大きいです。今は、自分の好きなこと、得意なことをやって人に喜ばれ、お金ももらえ、時間も潰せ、幸せだと思います」
ホームセンターもデイサービスも、そして、シルバー人材センターも、すべての仕事場で宮本さんは様々な人と関わっています。常に自身を正直にさらけ出すという姿勢を貫いているので、人との深い繋がりができ、信頼関係を築けているのも張り合いになっているそうです。
まさに完全に自立したセカンドライフを過ごしている宮本さんですが、三人のお子さんたちとも一線を引いたスタンスの姿勢を貫かれています。
「長男は私の自宅から10分のところに住んでいます。長男からも次男からも、彼らが家を持つときに二世帯住宅にしようと言われましたが断りました。元気なうちは世話になりたくないと思っています。子どもと一緒に暮らそうとはまったく思っていません。自分の子どもであっても、人格は別だと思っていますから。長女はカナダ人と結婚していますが、娘が自分で責任をとればいいと考えているので、特に反対はしませんでした。子どものことはすぱっと割り切っています」
80歳位までは今のような生活ができるような気がしていると話す宮本さん。いつどうなるかわからないので、その日のベストを尽くだけ。やりたいことがあれば、人に迷惑が掛からないことなら、なるべく早くやるだけと。
「今後については時々考えますが、不安なことはないですね。何しろよく眠ります。これまでも寝られないほど悩んだことはありません。それに、マイナスなことは考えません。時間の無駄ですから(笑)」
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