高齢期に経験のない仕事にチャレンジ!

まさに、アクティブなシニアといえる安達耕一さん。大手損害保険会社を定年の60歳で退職し、医療界に転身。医学校の創設や未病研究にかかわり、6つの法人の相談役や顧問として活躍しています。偶然元会社からOB たちへ介護職の誘いがきたのに心動かされ、以来3年有料老人ホームでケアワーカーとしても働いています。安達さんと、ホーム長の岩永龍さんにご登場願い、お話をうかがいました。

ー以前はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

大学卒業後、1968年安田火災海上(現損保ジャパン)に就職しまして、東京本社、名古屋、神戸、パリ、ニューヨーク、ロンドンなどで働いてきました。ゴッホの「ひまわり」の購入やルーブル美術館から「モナリザ」の日本での展示、その返礼として、パリでの東山魁夷画伯の唐招提寺の襖絵、鑑真像展示の保険とリスクサービスにもかかわりました。

ービジネスの第一線で活躍してきて、介護の裏方としての仕事を選んだきっかけは?

「反省はするが後悔はしない」を信条に積極的人生を生きてきたのですが、ひとつ深く後悔することがあります。両親の老後は大分県で、近くの姉たちが支えてくれていました。両親が入院したとき、何回も父母を見舞ったのですが、いつも予定があり、親の枕元にじっと座り介護することができなかった‥‥。

3年前、会社の OB 通信のなかに「系列の介護現場で働きませんか」という案内を見て「ああ、やってみよう」と思いました。

私は4年間、東京家庭裁判所の調停員をしていて、家族の紛争や悩みに立ち会ってきたので「入居者のお悩みを聴くことでお役に立てるかも」と思ったのですが、そういうシビアなお話はほとんどされない。入居のみなさまとは、高齢者同士の気楽な世間話が弾むのです。

ー介護施設では他にどんなお仕事があるのでしょうか?

歴史ドラマの説明などをしてさしあげると「おーい安達先生」と冗談に呼んでくださる方もいて、気負いはすぐなくなりました。忙しいスタッフを手伝い、入居者の日常を支えることが大切だとわかっていきました。

花壇はいつも手入れをし、春にはチューリップ、夏には朝顔、ひまわりを絶やさぬようにしました。入居しているみなさんに植え込みを手伝っていただいたり、草取りをしていただくこともあります。夏にはピーマン、トマト、オクラなどの野菜を植え、みなさんに収穫していただきました。

スタッフのみなさんは、テラスや花壇の手入れは僕に任せ、気にしなくていられるわけです。週2回4時間の勤務ですが、僕の仕事はここのスケジュールソフトに組み込まれていますし、休めばだれかに重荷がかかるわけですから、3年間ほとんど皆勤です。

テラスを掃き、花壇の手入れをし、それから下膳を手伝い、あとはみなさんの状況をみて、コンピュータに記録打ち込みの補助作業や、洗濯機を回しエプロンやタオルの洗濯をして畳みます。

 

ー岩永ホーム長にお聞きします。
安達さんの存在は、みなさんにどのような影響を与えているのでしょうか。

SONPOケア武蔵境 ホーム長 岩永龍さん

我々の介護のモットーは「人間尊重」です。ユマニチュード(介護現場を変えたといわれる「入居者本位」の繊細で丁寧な対応。フランスのイヴ・ジネスト/ロゼット・マレスコッティが方法論を確立)も、ケアスタッフ全員に行き届くよう研修を通じて実践しています。

スタッフは介護の仕事を選ぶだけあって心優しい人ばかりで、入居者のためになんでもして差し上げたいと働くので、心身が疲弊しがちです。そこで安達さんの支えが大きいのです。

この仕事は知識、技術、体力のどれもが必要ですが、一番大切なのは気持ちよくチームが動くための、コミュニケーション能力です。たったひとりの協調性のないスタッフのせいで、介護現場が崩れてしまう。スタッフの顔がくもれば、入居されている方々に不安を与えてしまう。つまりは、スタッフが元気なら入居者も元気と考えるぐらいでちょうどいいのです。

安達さんは、世界で働かれて異文化のなかで素晴らしい実績をあげてこられた。交渉力、コミュニケーション能力抜群な方で、経験が豊かです。その人間力で、さりげなくスタッフの心のバランスを取ってくださいます。スタップからはこんな声があがっています。

「ケアスタッフがどうしても行き届かない部分をサポートして下さるので、本当に助かっています!」

ご入居者さまもからも「中庭のウッドデッキをいつも綺麗に整えて下さっているので、気持ちよく過ごせます」と感謝の言葉をいただいています。

ー安達さん、この3年間で発見はありましたか?

もちろんです。高齢期に新しい仕事に挑んでよかったとしみじみ思っています。

人生の大半を、成長と達成に向かって走ってきました。企業のリスクをカバーするために損害保険があります。保険がしっかりしていてこそ安心して企業は活動に取り組める。僕の働いていた時代は大手の自動車メーカー、電機メーカーがこぞって海外進出、生産を始める時代でした。そこでのリスクマネジメントを現地の保険会社とともに提供していく、これはやりがいがありました。

異動のたびに、前任者がやり残した課題をなんとか解決しようとがんばりました。EUの統合にあたってはロンドンにいて、新しい時代の動きに目を見張りつつ、保険業界も懸命に変革に合わせていきました。ロンドンは保険の発祥の地ですから、ロンドンの保険業界は世界に対して大きな影響力がありましたね。それを目の当たりにした。

課題を自分の力で切り開いていく。それが僕のやりがいでした。調査、分析、企画、交渉などに没頭していました。ただ、父母の介護は地元の姉たち頼り。それでよかったのか、いつも気持ちに引け目がありました。

ここでは若いケアスタッフのチームワークがとてもいいので、気持ちよく働けます。「ラヴィーレ武蔵境」が介護グループ内での入居率が1位なのもうなずけます。

僕はここで、だれかが毎日くりかえして必ずしなければならない仕事をしています。人としての原点に戻った、と感じられる仕事ですね。「生涯成長」を目指していくなら、いずれ来る自分の最終章を学ぶ、こんな格好な場所はないでしょう?
介護現場で働くことは、私の人生のケアであり心のケアなのです。

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