ーそれから縁あって、また動かれたんですね。
英EMIとの合弁だった会社でしたが、東芝が経営から離れたのです。“ここではやりたいことがしにくくなったな”と思っていたとき、ある集まりでエイベックス会長の依田 巽さんにお会いしたのです。お話をしていると”うちに来ないか“ということになり、お世話になりました。
自分のレーベル、C.W.ニコルさんが名付け親の「avex io」を作っていただき、六本木のクラブ“ヴェルファーレ”で発表会をしました。第1回発売CDは、『森繁久彌/愛誦詩集』です。それが2001年9月10日。翌日にアメリカでの同時多発テロ事件(911)が起こります。報道は、もちろんそちらになります。
それからしばらくして、依田さんもエイベックスを離れられ、私も社を辞めて、2006年ディスク クラシカ ジャパンの立ち上げに参画しました。
ーお聞きしているとまさに“はからずも歯車が回る”の人生ですね。ただ、その時に必ずご自分が前へと動かれる
うーん、性格ですかね。思うと行動に移さずにはいられない。たとえば、電車に乗って素敵なジャケットを着ている人を見ると、“どこのですか”と声をかけてしまう。今は直接のコミュニケーションを取りにくい時ですから、難しいのでしょうが。当時は小さな賭けをして、声をかける。それが許された時代でしたね。
ー今後はいかがですか
確かに『葉っぱのフレディ-いのちの旅』や、和田誠さんがマザーグースを訳した詩集に作曲家櫻井順さんが曲をつけ60曲を60組のアーティストが歌った、CD「オフ・オフ・マザー ・ グ ース」や続編「またまた・マザー ・ グース」(東芝EMI)を作ったことは(先日うちのレーベルで復活しました)、もちろん意義があります。「 マザー ・ グ ース」は、和田さんと櫻井さんが遊びでテープに吹き込まれた。それを聞かせてもらって、企画化したものです。
でもね、やはり新人を育てたいのです。クラシックのミュージシャンはコンサートをし、会場でCDを買っていただき、サインもして、が収入源です。それがこの新型コロナ禍で崩れてしまった。私も資金的に潤沢というわけでもありません。
いま注力しているディスク クラシカは、アーティストと制作者が、経費とノウハウを負担しあって創る、新しい《共同原盤》システムによるクラシックCDレーベルなのです。それによって、新人発掘のお手伝いができればと願います。
すべて柔らかく考える。その考えたうちの一つでも、人に何かのきっかけを与えられればうれしいですね。
参考/ディスク クラシカ (disc-classica.jp)
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