複数の肩書を経て次なるキャリアは?

今回は、これまでモデル、タレント、文化人、プロデューサーなど複数の肩書をもち、活躍されてきた森道子さんが登場。
現在は、株式会社 Boo-Foo-Wooの代表を務めておられますが、基本的にはフリーランスで活動されています。森さんに、これまでのお仕事についてのお話、これからのキャリアについてのお話などをうかがいました。

ーまずはじめに、森さんのご経歴を教えてください。

もともと女優志望だったのですが、お金を稼ぐのが難しいなと思っていました。そうこうしていたら、モデル事務所にスカウトされて生計が成り立つようになったのです。当初モデル業界で老舗の大手事務所に所属して、ファッションモデルをやっていて、その後も2つほどの事務所に所属した経験があります。

モデルの仕事は17年位やっていたのですが、30才になったころに「自分は何ができるのか」という疑問をもつようになりました。モデルの仕事は楽しいのですが、受け身の仕事で、ある程度の年齢になると使い捨てでした。女優のように年齢が上がるにつれ付加価値が付くこともありません。当時は今と違い、上の年代向けの雑誌もありませんでしたし。

【モデル時代の森道子さん】

モデルを経て、タレント事務所の立ち上げのお手伝いをしました。のちに著名になったタレントさんが所属していて、うまく回っていました。その後、テレビ制作会社でプロデューサーも経験しました。

今から30年位前に、業界NO1の広告会社にキャスティングプロデューサーとしてスカウトされました。その広告会社専属で、フリーランスでずっと仕事をしてきました。当時の広告会社はキャスティング部門が立ち上がったばかりで、芸能の事情に詳しい人がいませんでした。

そのころの芸能界は特殊な世界で怖いところという印象を持たれていて、業界経験がないとなかなか入り込みにくかったのです。クライアント企業から無理難題を言われることも多かったのですが、私はそのタレントさんを使うメリットとリスクをきちんと説明するようにしていました。

ーキャスティングプロデューサーというお仕事は、クライアント対応、タレント事務所との調整など大変そうですが。

キャスティングプロデューサーになる前に、テレビ制作会社のプロデューサーの経験をしましたから、それに比べると比較的楽でした。テレビ制作のプロデューサーは全体を見ないといけないのですが、キャスティングプロデューサーはキャスティングのことだけですから。でも、胃潰瘍になる方も多いようですから、私には向いていたのだと思います。

バブル期には、収入も多く、24時間働いている状態でした。専属で仕事をしている大手広告会社からは、どんなにお金がかかってもいいので、タレントを獲得してくれと言われました。必ず勝てるプレゼンをするような広告会社でしたので、仕事のクオリティが高く、達成感も得ていました。

でも、景気が低迷してくると、広告に多くの経費をかけるような時代ではなくなりました。不況に加えて、WEB広告の波がやってきたことで、広告にかける予算感が変わってきました。以前だったらあり得ないような金額の仕事がきて、「えっ!一桁違うんじゃない?」と思うこともありました。やる気がないのではなく、提示金額が低すぎて仕事になりにくいような状態でした。

ーどのようなタイミングで起業されたのですか。

キャスティングの仕事がうまくいっているときに起業しました。キャスティングプロデューサーの仕事は、モデルの仕事と同じで“受け”の仕事なのです。広告会社がやりたいことを実現してあげるような仕事なので、自分は何なのだろうというストレスが溜まります。

私はフリーランスですが、形の上で所属していた会社がありました。その会社で、自分のストレスを解消するために「BOO-FOO-WOO(ブーフーウー)」というプロジェクトを始めました。具体的には、クオリティの高い子どものモデルが数人いて、そのマネジメントです。その子ども達のうちの一人が、東宝の「レ・ミゼラブル」のオーディションで一番になりました。そのタイミングで法人化しました。抱えていた子どもたちにはタレントになることは強く薦めませんでした。ですので、皆普通の学生に戻ったり、就職したりしました。

ー他に何か取り組まれていることはありますか。

何か新しいビジネスに結びつけばいいなと思って、2011年ごろからメインの仕事とは別にいくつかの活動をやっています。

先ほどの子どもモデルのマネジメントの流れで、タレントになりたい子どもを対象に「森のこどもの遊び塾」をやりました。これは後年、朝日新聞と一緒にやらせていただいた「朝日こどもニュース」Webに発展しました。内容的には、自己アピールの仕方を学んだり、4コマで短いお話を作ったり、自分なりの桃太郎の話を作ったりするようなものでした。お金はいただかず、月に2回ほど半年間のプログラムでした。あくまでも、ビジネスチャンスを見つけるための企画でしたので、商売になるような形にはしませんでした。

次に、大人の方を対象に「森のアート塾」をやりました。大学の先生に美術や哲学・宗教学の話をしていただく企画で、イタリアンレストランなどで食事をしながら聞く形にしました。こちらも実費をいただくのみです。参加される方は、シニアの方が多いです。定期的な開催ではなく、やりたいときに開いてきました。

今は「森の物語塾」というのを企画しています。私が興味をもっている古代史作家の関裕二さんなどを先生にして、物語を解釈するといった企画です。

考えてみれば、昔からリサーチを兼ねて経済や広告に関する勉強会をやっていました。企業の広告部長さんや広報部長さん経験者が集まるような勉強会でした。こういった取り組みは、仕事をしていく上で、決して無駄にはなりません。

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