英語が話せる ≠ 仕事がデキる

英語は単にコミュニケーションのツール

シニアを含めて、転職、再就職の際に人材紹介会社のサイトに登録している方は多いのではないでしょうか。その登録において、語学の資格を記入する項目が当たり前のようにありますよね。そして、当たり前のようにTOEICの点数を記載する項目があるサイトも多くなったと思います。

英語力のモノサシが昭和は英検(実用英語技能検定)であったのに対して、平成となった1990年代からはTOEICが新入社員の採用基準になり、TOEICテストの受験者も2019年度には年間で約220万人が受けるほどの規模となりました。

そして、仕事で実際に使えるレベル、海外赴任に必要なレベルは860点以上といわれています。2021年度の受験者全体のTOEIC平均スコアが611点、さらに、795点以上の割合が全体の15.9%というデータを踏まえると860点というのはかなりのハイレベルであるわけです。

しかし、外資企業などはその取得点数を鵜呑みにしているわけではないという実態もあります。なぜなら、英語を含めて言語とは単にコミュニーションのツールでしかないからです。要するに、日本語も同じように他者とコミュニケーションするための道具でしかないということで、日本語が話せても仕事ができない人がいるのと同じことなのです。

今回、インタビューしましたプレシニアの川端聖司さんは、実務においてそのことを目の当たりに体験されてきたお一人です。

英語≠仕事 .1

念願叶った配属先での現実

現在、外資の部品メーカーに勤務されている川端さん。高校生の頃から洋楽ならハードロック、洋画のアクション映画が大好きという時代を過ごし、将来は英語を生かした仕事をしたいとおぼろげながら夢を持っていたそうです。そして、大学入学後から英会話学校に通って英会話の勉強をされたとのこと。

「当時は今のようにYouTubeで簡単に生の英語に触れる機会があるといった恵まれた環境ではなかったので、AMラジオで在日米軍向け放送のFENを聞いたり、レンタルビデオで洋画を借りて何度も見るなど何とか工夫して自分で英語に触れる機会を作っていました」

川端さんの就職時はちょうどバブル景気の後半。まだ、大卒の求人倍率も高い頃でした。

「面接時に面接官と相性が良かった為か、なんとか一部上場の製造業の企業に就職することができました。ただ、同期は慶応、早稲田などの出身者が多い中、中流大学を卒業した私はどうしても学歴に引け目を感じていました。学閥があって特定の大学でないと出世できないなど、いろいろ根も葉もない噂がありましたからね。なので、自己紹介の時にもやはり自分の卒業した大学を言うのはちょっと抵抗がありました。しかし、噂の信憑性はさておき、若かったこともありチャレンジ精神は旺盛だったので、配属は花形とされていた海外営業を希望していました」

そして、川端さんは見事に希望通りの海外営業に配属されることに。

「英会話学校に通ったことで日常会話程度はこなすことができましたが、取得していたTOEICのスコアも550 点でしたから、本当にやる気だけで配属されたと思っています」

学生時代からの希望は通って安心したのもつかの間。配属されて直ぐに厳しい現実と直面することに。

「一部上場企業の海外営業ですから、当然、帰国子女も多数在籍して英語力の差が歴然でした。英語が堪能な帰国子女の場合TOEIC990点を持っている人、3か国語を話せる人など僕にとっては雲の上のような存在の人が在籍していました。こんな優秀な人たちを前に自分に仕事が務まるのだろうかと凄い不安になりました」

英語屋になるなよ!の一言

川端さんが最初に担当されたのが半導体部品。ほとんどの会社が半導体からは撤退して海外から買うようになった現在とは全く異なり、当時の日本技術は半導体製造では世界最先端でした。川端さんひとりで半期に100億以上も売り上げることもあったそうです。

「顧客はアメリカのサンノゼ、シリコンバレーという地域でApple、Microsoft、Intelなどが本社を置くベンチャー企業が集まった地域です。そんな地域にある最先端の設計技術を持つベンチャー企業と一緒に仕事をしていました」

事業が好調だったこともあり深夜まで残業して、時差のあるアメリカと直接国際電話でやり取りする日々を過ごされていた川端さん。仕事の合間を縫って時間が許す限り英語の勉強も継続されていたそうです。

「ヒアリングを鍛えるためテレビのニュースは英語にして、できるだけ字幕なしで聞くようにしていました。また、リーディングの力をつけるため英語版newsweekを読んだりしていると、徐々に英語の力が増していきました。この時に大学受験で一生懸命に覚えた英単語や英熟語が役立ったことを強く感じました。詰め込み教育は良くないといわれる時代になりましたが、基礎は大切だと実感しました」

そんな折、川端さんが目標としていた課長さんから意外な一言をもらうことに。

「君は熱心に英語の勉強ばかりしているけど、英語屋にはなるなよ!と言われたのです」

海外に留学経験もあり海外の顧客と互角に渡り合えるほどの英語力も持ち合わせていたサンノゼ駐在の課長さん。川端さんが所属した部署でもキーパーソン的な存在の人に言われた言葉の真意を理解できるようになったのは、川端さんがもっと責任のある仕事を任されるようになってからのことでした。

「実際、冷静に社内を見回してみると英語が堪能な人は仕事もそつなくこなすというわけではありませんでした。英語が堪能な人に多いのですが、顧客との会議では流暢な英語でコミュニケーションを取っているものの、通訳に専念してしまっていて、肝心の会議自体はうまく進行していない、ちょっとずれているなと思う場面もありました」

英語が自分よりも使えるだけに、すごく残念に思ったという川端さん。結局、英語はあくまで仕事の為の道具であって、すべてではないという事に気付くのでした。

「私は英語にハンディがあった分、社内で根回しをしたり、会議で想定される問題を事前に解決したりと、仕事がスムーズに進むように神経を使うようになっていました。すこし時間がかかりましたが、これが課長が言わんとしたことで、英語を話す能力=仕事ができると勘違いしている英語屋にはなるなよという意味だと理解ができました」

英語≠仕事 TOP

人生100年、まだまだこれから

「様々なことを海外営業の仕事を通じて学んできましたが、自分の今後のことを考えて転職しようと思ったのです。よりキャリアアップすべきであると。それで、履歴書に書ける資格としてTOEICを再度受験しました」

大学卒業時のスコアが550点であった川端さんのスコアは800点に上がっていました。ちなみに、それぞれのスコアの英語の実力度はというと、500点レベルは大学生が就職活動において履歴書でアピールできる最低限のレベル。そして、730点レベルは「英語が使える」と認められるレベルで、国際部門など、英語を使った職へ履歴書でアピールできるレベルといわれています。また、15年ほど前のデータになりますが、650点の人が850点を取得するためには最低でも500時間は必要であるとされています。川端さんの場合、再度受験する前に800点には到達していたのでしょうから、日々の努力の継続で実力を維持されて来ていたと考えられます。

「こんな自分の後ろ姿を見てか、中学まで勉強嫌いだった一人娘が英語に興味を持ち、英語に力を入れた高校に進学して語学を学ぶ道を選んでくれたことは嬉しかったですね。強制したことは一度もなかったので、親の背中を見せることが一番の教育なのかなと思っています」

気がかりなのは、いつか「あなた英語は堪能だけど、それではダメ、英語屋になってはいけないわ!」と言ってくれる先輩が現れるのかと語る川端さん。

「すでに私もプレシニアになり、若い頃に比べれば体力も落ちてきていますが、チャレンジ精神だけはまだ旺盛なつもりです。これからも新しいことに挑戦し続けていきたいと思います。人生100年と言われる今、まだまだ勉強する機会はたくさんあると思っています」

昨今の流行りのワードの「妖精さん」とは縁遠く、枯れない男、生涯現役を是非に貫いてください!

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