自身のがんを乗り越え、患者の就労を支援

手術の後遺症のリンパ浮腫のせいで仕事が遅れた。上司の「工程が立たない……」の一言に、設計会社を辞職。収入が治療代に消えるバイト生活のなか「仕事を続けるべきだった」と後悔した。この経験から「がん患者の就労・雇用支援のCSRプロジェクト」を開始し、キャンサーソリューションズ株式会社を創設した桜井なおみさん。厚労省のがん対策推進協議会に参加し、患者の思いを訴え、がん対策推進基本法や傷病手当金の改定などに反映させてきた。

1967年生まれ。2004年に乳がんを罹患し、2年後会社を離職。

2007 年に東京大学医療政策人材養成講座で「がん患者の就労・雇用支援に関する提言」を発表、がんにかかった人の3分の1が仕事を辞めるという衝撃的な実態を社会に突きつけた。この研究で最優秀賞とDREAM 賞を受賞。2009年、現会社を創設し代表取締役に。厚生労働省がん対策推進協議会委員として、がん啓発活動とがん患者の就労支援に取り組む。

キャンサーソリューションズ株式会社 代表取締役社長 桜井なおみさん

社会的役割を持つことが、心身を立ち直らせるのです

がん患者への就労支援とは?

うれしい実例をお話ししますね。

40代の男性が抗がん剤の副作用で歩けない、座っての仕事を探したいと、来られました。顔色も蒼白、髪の毛も真っ白でやつれておられる。お話しを聞いていると、ご家庭があり小さなお子さんもいる。

「働きたいという気持ちに戻った時が復職のタイミング、新しい自分を考えてみて」

と、これまでのキャリアと今の課題と、遠いかもしれないけれどご自分の未来の夢をすりあわせて考えて、とお願いしました。答えは自分のなかにあるし、それに気づくのががん患者の自立だと思っていますから。

すると、響くところがあったとみえ、失業手当が出ている間に家で勉強して簿記などの資格をとり、自分の“売り”を戦略的にプレゼンする就職活動をされて、見事に就職。働きだしました。するとどうでしょう。

信じられないでしょうが、あの真っ白な髪がみるみる間に元の黒さになったのです。肌色も健康的な色になってまるで別人で、驚くほど元気になられました。それほど、人には社会的活動が必要なのですね。

それはすごい事例ですね。

この男性のように、人から期待されている、役割がある、尊重される、なにげない会話ができる、なにかで喜んでもらえる。

そういう社会的役割を持つことが、いったんは落ち込んだ心身を立ち直らせるのだと納得しました。

仕事だけではありません、主婦として家族を支える自分、ボランティア活動、趣味に生きる、社会的役割は人それぞれです。がんとともに生きるのに、仕事はそのうちのひとつ。新しい生き方に正解などありません。

人生100年時代、がん=死は過去のことになりました。二人にひとりはかかるごく身近な病気なのに、死亡率もまだ高いし、治療が長引いたり、副作用も辛い場合がある病気です。

がんに罹患したとき、ご自分のなかで悩み、戸惑い、「新しい生き方」が始まります。しかし患者さんはショックで、傷つきやすくなってもいるので、上司のひとことで辞めてしまう場合も多いのです。その危機を相談業務で支え「新しい生き方」を見つけるお手伝いをするのが、私たちの役目です。

患者との相談では、私自身の悔しい想い、「もっと考え、調べ、そして相談すればよかった」という反省がこもってしまいますねえ。旅立っていったがん友の「想い」も伝えたい。

キャンサーソリュージョンズは、どういう会社なのですか?

がん経験を活かして仕事し、問題解決を行うために立ち上げた社会貢献型の株式会社です。プランニング(学会やフォーラムの企画運営)、コンサルティング(復職支援、雇用継続プログラム、社員教育)、リクルーティング(就業のスキルアップセミナー、企業のニーズと患者のスキルをマッチングさせる事業)の3つのコアプロジェクトで仕事をしています。

11人の社員はみな体験者で、がんの最新情報を患者目線でわかりやすく伝える提案やピアサポート(同じ悩み、あるいは病を体験した人たちが同じ仲間としておこなう支え合い)を展開しています。

がん患者は初期治療の治癒の場合を除いて、どなたもが転移、再発の可能性をかかえています。転移や再発をしたらまた治療費が発生するので、仕事を続けることが必須なのです。いまは抗がん剤治療でも、通院で、何時間かですみます。職場の理解と協力があれば、仕事と治療を両立できる時代です。両立の理解を社会に求める情報発信も行っています。

がん患者支援の「ABCプロジェクト」がありますが、どんな活動ですか?

 「ABCプロジェクト」は、乳がんがほかの臓器に転移したり、再発したりした「転移性乳がん」患者の情報共有の場です。「オンライン交流会」や勉強会、ミニセミナーで情報を届けています。

たとえば米国乳がん学会(SABCS)の発表をトリプルネガティブ(マイナス要素が重なる)、ルミナル(ホルモンの型)、HER2(ハーセプチンに対する遺伝子型)のタイプごとに、学ぼうというセミナーがあります。

いかに乳がん治療が、個別化、先進化しているか。患者たちはこのような医療状況のなかで自分のがんのタイプを知り、医師と相談して、治療の選択をしていくのか、わかりやすく伝えたりしています。

また、患者の体験を書き込む「ABCエピソードバンク」を開催し、患者たちの情報の蓄積に AIを活用。知りたい情報、人に簡単にアクセスできるよう研究を進めています。(奈良先端科学技術大学院大学荒牧英治先生と協働)

がんでも「新しい自分」を見つけることを大切に

就職のあっせんはどのようにするのですか?

10年前は、苦労して企業とのマッチングを行っていましたが、いまはハローワークごとに厚労省より派遣される長期療養者支援相談員、別名、就労ナビゲーターがいますから、ハローワークにつないでいますので事業としてはあまり重視していません。ハローワークのほうが圧倒的に仕事の紹介数が多いですから。また、がん診療連携拠点病院でも就労の相談にのってくれますから、直接支援ができないケースはそうした場所と連携をしています。

我々は、就職面接などのスキルを身につけていただくことだけではなく、「新しい自分」を見つけることを大切にしています。「がんで月一回の検査が必要だから休ませていただきたい」などとマイナス面を言うより、「私はこれが得意、生きがいだから、これをしたい」「これで会社に貢献できる」と、プラス面を訴える就職活動をしてほしい。そうできれば、面接する会社の、その方への見方が違ってきて、がんという事実は遠景になるのです。

ピアサポートの効果とは?

人はがんと告げられたその日から“がん患者”になります。まず自分の病気を理解しなくてはならない。治療の見通しを知って、療養の計画を立てなければならない。仕事や生活のことも考えなくてはなりません。

そういうときに、同じ病気を経験した体験者、仲間と話すことは「一人ではない」という希望につながります
会社の人々や家族にも話せないことも、同じ思いをしてきた体験者には素直に話せます。ピアサポーターとは、その方のがんとの旅路に伴走して、ときどきに「ひとりじゃないよ、大丈夫だよ」と寄り添う存在です。

体験者同士の話し合いで気をつけなくてはいけないことは、たくさんあります。たとえば治療のアドバイスや、薬剤の情報などを語り合うのは危険です。日進月歩で進歩するがん医療ですから、体験者が自分の治療が成功したと話しても、それはもう過去の治療で、いまや一番の選択ではないということも多々あるのです。ですから、常に研修が必要です。

情報の提供も大切です。本人が納得して治療が受けられるよう、しっかりとした情報源(がんセンターのホームページなど)や本を伝えて、医療者に疑問をどんどん問いかけるように勧め、できるだけ自分の治療を理解してもらうようにしています。

とはいえ、患者が医療側に、いろいろ聞くのはハードルが高いのでは?

医療とのつきあい方で強調するのは、旧来型の「賢い患者」になるな、ということ。

がんは長期にわたる療養が必要な場合も多いし、心理的にも負担が大きい病気です。医療との信頼関係がないと治療もスムーズにいきません。

「遠慮しないでご自分の問題や不安、要求を訴えてください。味方してくれるマイチームを病院内につくってください」と提案します。

医師に遠慮があったり怖いと感じるなら、看護師やソーシャルワーカーなどに頼ってもいいのです。納得して、自分の心身にできるだけやさしい治療を受けること。それが現代の「賢い患者」なのです。

ワーキングピアサポーターに、会社のがん患者の相談役を

会社のなかでがんの相談をできるのでしょうか?

がんに罹患して仕事をどうしょう、というとき、会社の産業医や人事に相談して、戦略を立てる人はまずはいないですね。がんを理解していない上司に「治療に専念すべきだろう」なんて言われて、傷ついて辞職という例が多いのが悲しい現実です。

 そこで企業の中にいるシニアのがん体験者に、ピアサポートや就労支援の基本を学んでもらい、会社のなかでがん患者の相談役になっていただきたいと思うのです。

患者ひとりひとりの事情や個性、なによりも仕事のやり方への希望をよく聞き取って、その方たち、つまりはワーキングピアサポーターの方々が、会社の人事や産業医につなげ、患者のできること、できないことを整理し、意向が実現できるよう働きかけていきます。そういう役割が必要だと思っています。

現在、「Work CAN’s」(ワ―キャンズ)という働くがん体験者の集まりが始まり、ネットで意見交換をしたり、オンラインで合同研修会などを開催しています。がんという共通の立場で、製造業も金融業もサービス業もつながっています。そこでは、休暇の取り方ひとつでも「えっ、こんなに違うの?」というぐらいに企業風土の違いが明らかになり、みなさん興味津々です。がんと仕事を両立させるために、どういう工夫が必要なのか、そういう対話からも、ヒントが見えてきます。

前回の合同研修会では、25社100人以上が参加されてきて驚きました。会社名を名乗ったり、製造業とだけで参加してきたり、自由な雰囲気です。

会社のなかのピアサポーターは、どのようにつくるのですか?

「ワーキングピアサポーター研修」をオンラインで行い、月1で交流会を開いています。

「職場にはこんなふうに話したよ」「履歴書にはこう書きました」「面接ではこう伝えました」「診察のために休みたいときこんなふうに説明したよ」などなどの体験を伝えあいます。会員からは投稿を募り、「ワーキャンズエピソードバンク」にためて、働くがん患者さんの参考にしてもらっています。

最近は「課外活動」もスタートをし、ビール会社のサバイバー(がん体験者) を中心に、「生きる喜びが感じられるビール」を作るプロジェクトが動きだしました。このプロジェクトに賛同した会員たちが、ひとりひとりのがん体験イメージを「苦い味」「複雑な気持ち」など言い合いながら、ホップ選びなど新しいビールづくりに取り組みました。わいわいとやっていると、色々な意見がでてきます。

「副作用で、指が痺れているときプルトップ開けづらいよね」「味覚障害が出てもおいしく飲めたらいいね」「缶の質感はどうかなあ」などなど。そこで「プルトップを開ける補助具を考えよう」とアイデアがでれば、お菓子メーカーの人は「それにあうおつまみも創ろう」と発展していきます。

そこで出るアイデアは、きっと高齢者や障がい者にも有益ですよね。どんな病気でも障がいでも、だれでも尊重されるノーマライゼーションの実現にこんなところからも近づいていける、とうれしくなりました。

創業から12期となりました。達成感を教えてください

がん死による国全体の逸失損益は、6.8兆円と言われています。できるだけ合理的にがんを治す、そして仕事と両立させることは、とても大切なことだと、みなさまに理解していただきたい。

2008年東京京大学医療政策人材養成講座4期生となり「がん患者の就労・雇用支援に関する提言」を発表しました。アンケート調査をしてみると、がんにかかった人の4分の3が仕事を辞めたくないと思っているにもかかわらず、3分の1が辞める、4割は収入減、という衝撃的な事実が明らかになりました。

それから2010年にした855人への調査では、個人事業主の方なら仕事の融通もきくのではと思っていたのですが、72%もの方が休業、業務縮小、などに直撃されていました。会社員のほうが守られていたのです。そういう調査を11年積み重ねて、ほかの患者団体や研究機関とも手を携えながら、がんと仕事の両立への施策の必要性を各方面に訴えてきました。

2012年に、がん対策推進基本計画に患者の就労問題という柱が加わり「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」と明記されたときには達成感と、「これからだ」という責任感も感じました。

それから毎日のように審議会や、プレゼンに追われるようになりましたが、治療の場に社会保険労務士が入るようになり、ハローワークには「就労ナビゲーター」が派遣されるように、行政が変化してきました。厚労省から、がんと仕事の両立への、さまざまなマニュアルもでています。

傷病手当金の改正とは?

2019年2月25日(月)、傷病手当金の改正の国会中継で我々の調査したグラフがテレビで見えたときには、社員みなで「やったあ」‼ 10年間訴え続けてきたので、達成感がありましたね。

さてこの改正とはどういうことか、少し説明しましょう。病を得て手術や治療で仕事を休むときには、健保から傷病手当金が給料の3分の2ぐらい出て療養生活を支えますが、これには1年6ヶ月という期限があります。

がんの場合、一回受け取り闘病し職場復帰、それから何年か元気で仕事して、再発するということがあります。そうなったときに1年6月使い切っていたら、もう手当金は出ないのです。

公務員の場合は通算で受け取れるので、自分で申請を裁量できます。がんや難病の方も通算で取れるようにしてほしいと、10年訴えてきて、2022年1月からやっとそうなります。通算で取れれば、再発や再治療が見込めるときはなるべく短い期間ですまして、職場復帰を急ぐなど、知恵を働かせて人生を守ることができるのです。

これからも相談にきてくださる一人ひとりの「新しい生き方、その展開の物語」つまりナラティブを大切に、それがもっともっと輝くような社会的な提案と実践をしていく。つまりナラティブとエビデンス。それを合言葉に進んでいきます。

参考/ キャンサー・ソリューションズ株式会社 – 「がん罹患と就労」に関する政策提言・課題解決を行うために立ち上げた、社会貢献型の株式会社です。 (cansol.jp)
CSRプロジェクト https://workingsurvivors.org
ABCエピソードバンク https://abc.episodebank.com/index/
がんサバイバーシップシンポジウム2016、厚労科研「がんと就労」研究
がん患者の就労支援等に関する研究 | がん対策情報センター (ncc.go.jp)

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