僧侶として、ゴルフジャーナリストとして
今回、お話をお聞きしたアクティブシニアは三田村昌鳳さん(74歳)。ゴルフ好きの方なら三田村さんの書かれた著書やゴルフ雑誌の記事を読まれたこともあるかと思います。
大学卒業後、『週刊アサヒゴルフ』副編集長を経てフリーのゴルフジャーナリストになり、アメリカのゴルフトーナメントの最高峰といえるマスターズ・トーナメントを通算40回も取材されてきました。そして、日本のゴルフ界のレジェンド、青木功プロ、ジャンボ尾崎プロ、中嶋常幸プロ、そして、伝説のアマチュアゴルファー 中部銀次郎さん達とゴルフジャーナリストという立ち位置で歩んで来られたお一人です。
1995年には米国でスポーツライター・ホールオブフェイムを受賞。96年に第1回ジョニーウォーカー・ゴルフジャーナリスト・アウォード最優秀記事賞を受賞されている三田村さんは、実は日蓮宗の僧侶でもあります。神奈川県で1200年という歴史をもつ沼間山法勝寺のご住職でもいらっしゃるのです。ですから、僧侶、そして、ゴルフジャーナリストという仕事をパラレルワーカーとして半世紀近く続けられているのです。
下り坂の人生を楽しむ術
「人生100年時代とは言いながらも、寿命というのはあるわけで。それこそ、仕事でもつながりのあった同年代の伊集院静さんや谷村新司さんとかが亡くなっていく中で、自分もどうなるかわからないっていうか。まあ、70に入った時からは逆に数えていかなければいけない時間帯に入ってくるわけですよ」
ここで三田村さんは現在54歳の藤田寛之プロのことを例えに話してくれました。20代は1勝、30代で5勝、そして40代で12勝と年齢を重ねるごとに勝ち星を量産してきた藤田プロ。しかし、シニア入りしてからは、やはり思うようなパフォーマンスができない、成績で結果が残せない。肉体的なことも含めて、結局、若い選手には勝てないという状況が続く日々。
「そこで、彼がどう考えたかというと、下り坂、これからは下り坂の人生なのだから、下り坂の人生をどうやって楽しめるだろう? そして、下り坂の人生を楽しむために、ちょっと自分の気持ちをセットし直してみたと。そうしたら、幅みたいなものが出来てきて、若い頃には無駄な練習と思ってやっていたことが、下り坂の人生になった時に逆にそれが生きてくるっていう部分があるっていうのは、なんか彼のゴルフを見ていて感じたかなあ」
若い頃はパワーだとか、気力、活力というもので補える部分がたくさんある。しかし、それが補えなくなった時、自分の引き出しをどう使いこなせるのかというものの考え方があると三田村さんは続けます。
「多分、それも一つの考え方であるという気がして。僕はとにかく次の世代にゴルフという文化を継承していきたいなっていう気持ちがものすごく強くなってね」
ゴルフ文化の継承に乗り出さないと手遅れになる
ゴルフ好きの人ならご存知でしょうが、アメリカにはゴルフの発展に大きく寄与した選手や人物を讃える世界ゴルフ殿堂という組織があります。その本拠地にはホテルやレストラン、ミュージアムやシアターなどがあります(つい最近、その移転が発表されましたが)。
ミュージアム(博物館)とは、日本の文化庁のHPに寄ると、資料収集・保存,調査研究,展示,教育普及といった活動を一体的に行う施設であり、実物資料を通じて人々の学習活動を支援する重要な施設とされています。すなわち、アメリカではゴルフを社会的な文化として博物館というかたちで継承しているということなのです。 ちなみに、日本での「博物館法」に則った施設の運営にマストなものがあります。 そう、国家資格である学芸員です。「博物館法」上は、「博物館資料の収集・保管・調査研究・展示をする専門職」で必要不可欠な人材。実は、三田村さんは次の世代にゴルフを継承していくために、必要不可欠な人材であるゴルフ学芸員を誕生させるということに5年ほど前から着手されていたのでした。
「一人は65年生まれの元スポーツニッポンの記者の宮井さん。そして、もう一人は、73年生まれでコースのキャディさんでもあり、競技委員でもある井手口さんに声をかけてみました。二人とも素晴らしい素地を持っていらしたのと、ゴルフ文化の継承という課題に賛同してくれて、4年、5年という歳月をかけて学芸員としての資格を取得してくれました」
無邪気に嬉しそうに三田村さんは語っていらっしゃいますが、社会人の一般的なリスキリングにしてもハードルが高すぎる資格の取得をされたお二人には尊敬の念以外に何もありません。
そして、この日本にもJGA(公益財団法人日本ゴルフ協会)が兵庫県の廣野ゴルフ倶楽部の敷地内にJGAゴルフミュージアムを運営しています。この度、そのJGAは定款を変更して、ゴルフの競技団体ではなく、文化も一般に伝える組織になりました。そして、このミュージアムで歴史を精査して史実を明記し、ゴルフ文化を一般に伝えていく重要な役割を担うのがゴルフ学芸員のお二人なのです。
文化継承に学芸員が必要な理由とは。
「それを痛感したのは、以前にテレビ朝日の電話取材を受けた時に話したことで、そのエヴィデンスはどこにありますか?と訊かれたの。もし、僕が学芸員であったとしたら、そんな質問は出ないのですよ。例えば、NHKのブラタモリとかもそうだけど、諸説があった時に学芸員がこうですと言えばガバナンスとしては良いってことになるわけですよ」
三田村さんの話に思わず「へえ」となった方も多いのでは。一般的な生活を送っている人と学芸員という職業の人との接点は稀なので認識不足なのは当然。ただ、確かに、博物館の重要な物や文献を一般人同士で取り扱うのは歴史的文化財という観点からすればあり得ない。それに、それらを修復する方法なども含めて、それ相応の知識と責任を有する資格保持者となれば情報の信用度も異なってくるのは当然のことかもしれませんね。デジタル社会になって、AIによる自動生成なども含めて情報の信憑性が問われている現代。ゴルフという文化を正確に伝承していくには、時代の流れもしっかりと三田村さんは捉えていらしたのでしょう。
また、ゴルフ業界を活性化させたいという信念のもとにwebでも、ゴルフの全てが集まる百科事典『GOLFPEDIA』というサイトを学芸員のお二人とともに運営されてもいます。
俯瞰して客観的に自分を見るおおらかさ
ただ歳を重ねる人生を送った人。また逆に、そうではない人生を送ってきた人。その両者の大きな違いは何であるのか。三田村さんはまさに後者の人生の人。
「生まれてからずっと競争社会に身を置いていたか、そうでないか。その中で、より良い何かを、新しい何かを生み出そうとトライしてきたかどうかの違いでしょ。また、1947年から49年生まれの第1次ベビーブーマー世代である団塊の世代、出生人口が減っていった1950年代生まれのしらけ世代。人口の増減に伴って生き残りの競争の量も増減するわけで、それが世代として反映されてしまったということもあると思うなあ。でも、人生って、競争に慣れすぎて欲が強くなるのも良くない。歳を重ねたら、孤立してしまう。だから、バランスをとってプラスマイナスでイコールにすることが大切。いわゆる則天去私というやつね」
夏目漱石が晩年に達した文学観といわれている『則天去私』。解説された文献は残っていなようですが、「私利私欲を捨てて、自然の中でものを見きわめようとする」ということだそうです。
「人間は欲があるから生きているという面もあるけど、天の流れに逆らわず、自分の欲を捨てて、まあもっと自分を俯瞰して客観的に見るっていうぐらいのおおらかさがあって、ようやく中和されるっていうか。そうすれば、相続とか面倒なこととかも、結構許せることも出てきて、逆にストレスをなくすことになると思うし」
70歳になって改めてのゴルフライフの始まり
ゴルフのキャリアは当然ながら長い三田村さん。けれども、ジャーナリストという仕事でのゴルフとの関わりということもあり、実は年がら年中、ゴルフコースでクラブを振っていたわけではなかったのです。
「70歳という節目を迎えて、臨終の時に後悔することって何かなあと思ったら、その一つがゴルフであったと。心筋梗塞をやって以来ラウンドしてなかったのと、年に数回、もしくは、全くやらなかったこともあったりした人生だったので、死ぬ時にもっとラウンドしておけば良かったと後悔したくなくて。」
そんな時に、関西を代表する名門コースの一つである鳴尾ゴルフ倶楽部の100年史の制作にゴルフジャーナリストとして参画されていた三田村さん。
「昔ながらのゴルフの愉しみである倶楽部ライフが今も息づいていて、ゴルフのルーツである関西らしさというか関東にはない良さが継承されている。それに、スタッフもメンバーも雰囲気のいい人ばかり。プレーもしないで打ち合わせだけして帰京しているのは勿体ないなあ、と思っていたらメンバーに入れてもらえました。それをきっかけに改めてゴルフライフを楽しみ始めたという感じ(笑)」
鳴尾ゴルフ倶楽部のほかに、富士カントリークラブ、カレドニアンクラブで、ゴルフジャーナリストとしてではなく一人のクラブメンバーとして楽しむゴルフライフ。名門コースで優雅ですね、と羨む人もいるかもしれませんが、パラレルワーカーとして慌ただしく半世紀近くを走り抜けてきてのことと考えると、やっと落ち着ける時間に辿り着けたのではないでしょうか。ただ、来年の2月で75歳を迎える三田村さんはゴルフ文化の継承者として、まだまだ活躍されることを多くのゴルフファンや関係者が望んでいるのも確かです。
インタビュー撮影:藤巻剛
三田村さん著書リスト
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