介護の水先案内人“お節介士”という資格

家族の介護は徐々に始まると思われがちですが、突然の骨折や脳疾患、知らないうちに進んでいた認知症のために突然介護者になる人々。介護保険はどうすれば使えるの? どこに頼めばいいの? そんな家族の相談にのり、介護の水先案内人となる“お節介士”を世に送り出している柴本美佐代さん

遠くの親戚より近くの他人“お節介士”が巷にあふれれば、家族の介護や一人暮らしの不安も弱まるのでは。福祉の要素が強い“お節介士”を、採算ベースにのせたのは「介護者を支える視点と情報」でした。


一般社団法人日本エルダーライフ協会 代表理事 柴本美佐代さん

関西を中心に講師として活躍する他、接遇マナー、IT・情報活用、介護保険制度などの研修・教育プランニングも。著書「つなぐ!お節介士ネットワーク」高齢者住宅新聞ほか、新聞連載多数

「お節介士」という仕事

まず最初に「お節介士」というユニークなネーミングのワケを教えてください。

“お節介士”、頬がゆるむネーミングでしょ。お節介士って、“浪速のおばちゃん”のイメージがしません? 名乗るだけで相手の方が「なにこれ〜?」と打ち解けて、興味を持ってくださるのです。介護分野の方だけでなく様々な職業の方々が名刺に“お節介士”と入れたいから、と“お節介士養成講座”(有料)を受けてくださるようになりました。

介護に直面したとき、だれもが初めての経験で頭が真っ白になられる。どこから手をつけたらいいのと、戸惑う家族と同じ目線で問題を整理し、介護保険制度や適切な専門家にうまく繋げるのが“お節介士”なのです。

日本エルダーライフ協会の認定研修を受け、介護者としての心構えの大切さや必要な知識を学び「介護者を支援する考え方」を身につければ、誰でもなれます。

まず、介護する家族にも支援が必要という視点を持っていただきたい。介護者支援には「介護は大変」と同情するよりも、介護の成功体験や、工夫、知恵、「介護してよかったという思い」つまりポジティブな情報が大事です。ポジティブ情報が介護家族を支えます。

介護は家族が行うのが一番という方もいますが・・・

病気や加齢によって衰えてきた家族のために料理や家事をしたり、病院につきそったり、常に気にかけ見守る。「トイレや入浴、食事の介助だけが介護ではなく、それも介護ですよ」と自覚してもらうことも重要です。

介護は家族の務めだと思い込み、無理をして心身の不調を感じる前に、仕事と両立が難しくて辞めようかと悩む前に、様々な方法があることを知ってほしい。

“介護は家族の務め”という呪縛がある間は、ほんの少しの息抜きや介護サービスを利用するだけで、罪の意識に悩まされてしまう方も多いのです。そこを、「家族の務めは介護することじゃありません。家族にしかできないことをするために介護はプロに任せたら?」と介護サービスを利用する気持ちになってもらうことも、お節介士の役目です。

柴本さんは54歳で一般社団法人日本エルダーライフ協会を創立。準備に2年、赤字ギリギリの3年を過ぎて、4年目からは行政、一般企業や、医療関係、介護事業者から講演、研修依頼を受けるようになり、お節介士事業は軌道にのりました。社会全体が介護を知らなくてはやってはいけない時代になったのです。

使命は、介護者と専門家をつなぐこと

“お節介士”の発想と情熱とは?

40代でした。夫の実家のすぐ近くに住んでいたのですが、義母が治療のための薬の副作用で入院して、わずか3月でたくさんの管に繋がれて亡くなりました。その姿に胸が締め付けられました。なぜ、あんな姿で逝かせてしまったのだろう。家に帰してあげられなかったのか、もっと違う看取り方ができなかったのかと、すごく後悔しました。そして、介護者がもっと知識や情報を持たなくてはいけないと強く思ったのです。

そのとき私は一児の母で、PCインストラクターの資格を持っていたので、ママ友を通じて役所の市民課からパソコン作業の仕事の依頼がきました。介護保険制度が始まった時で、立ち上がったばかりの在宅介護支援センターで勤務することになり、介護保険制度にも深く関わっていたので、問題意識も高まったのです。

呼んでもらって、仕事が続き、専門度が深まっていく

もともと仕事大好き、挑戦大好き人間なんです。最初の仕事は歯科助手、つぎにコピー機会社の総務部契約社員、そのときパソコンにひかれ専門学校でベーシックプログラムを学び、パソコンの資格を取りました。結婚後、不動産会社に務める友人から物件情報がネット利用に移行するのでうちへ来ないかと誘われ、そこでも宅建の資格を取りました。資格試験に挑戦するのが好きなんですね、きっと。

娘の出産を機に退職して1年ほど専業主婦をしていましたが、義母の狭心症が悪化し義父はまだ現役でしたので同居することにしました。夫の実家があるのは小さな町で情報の伝達が早く、私の経歴が伝わると求めなくても仕事の依頼がきて、縁のなかった介護や福祉に携わることになりました。ここでの学びが大きかったですねえ。

さまざまなお仕事を経験されてきたのですね

そこでの仕事を辞めてから医療事務を学びたいとハローワークの職業訓練に参加すると、またまたご縁が生まれました。

接遇(面接スキル)の先生の引き合わせで不動産、介護、 IT技術の3つの強みを見込まれ、介護のポータルサイトの立ち上げを計画していた会社の取締役部長として採用されたのです。県のすべての介護施設といくつものデイサービス、部下とともに取材しウエブサイトで紹介していきました。

経営会議では徹底的に「数字で出せ」と叩かれ、鍛えられました。そのことは今とても役立っていますが、社長の方針転換に納得できず退職。そして人生のテーマである介護者と専門家をつなげる事業をしたいと起業しました。

お節介士の起業に至ったということですね。

起業するのに2年。最初の1年は人を“頼りに頼り”ました。

介護の世界のこれはという人にお節介士の企画を見てもらい意見を聞き、修正、また修正。するとその方々に応えなくてはと自分の意気も上がる。起業への挑戦が続けられたのは「人に頼る」ことだったと思います。

夫には「借金だけはしないで」と言われていたのですが、最初は採算が取れず、もうだめかな??となると不思議に仕事が入るという繰り返しでした。


これからの課題をおしえてください。

だれもが「セルフケアラー」にならなくてはと伝えたい。介護をされるのは嫌だなあ、で思考停止ではいけません。自分で自分のケアラーになるのを目指す時代です。

お節介士になって良いことは、自分の将来の見通しができることです。誰しもお一人様になる時代「セルフケア能力」を高めることが大切です。できれば年代の違う仲間をつくり、学び、情報を得ること。

例えば、要介護2になると150万円おりる民間の介護保険があります。では、そのお金をどう使うのか。自宅でできるだけ暮らしたいなら、月々の費用に消費せず家のリフォームに使うことです。

お風呂を自動で管理できるものに変える、キッチンを車椅子でも料理できるようにする、トイレの戸を介助しやすく車椅子でも入れるように広げておく、など。これはひとつの例ですが、だれもが40歳で介護保険に入る。そのときから、介護を語りあい、想像力を広げ備えていきたいですね。

2010年から男性介護者の会「TOMO」の運営を手伝っています。妻や親を介護する男性たちが、仲間と語り合う場です。

「TOMO」では、妻や母親を見送ったあとも集まりに参加し、介護経験者が支援者となって運営しています。介護が終わった後は、自分の介護を考える場としても機能しています。こういう場が、企業内や地域にあればと思います。
私の事業に興味を持ってもらうためには、「えっ、そうなの?」と目から鱗が落ちるような情報を発信していくことが鍵だと思っています。

「A C P(人生会議)」、人生の最終段階でどのような最期の迎え方をするか、本人と専門家が話し合って決めることですが、本人に意思表示ができない場合治療の選択を誰に託すのか?
最近、厚労省のガイドラインが変わり、必ずしも戸籍上の親族でなくても日頃の思いや意思をよくわかっている親しい友人(事前に文書で指定)に最終判断を託すことができるようになりました。そういうことを知らない人がほとんどです。ですから「じゃあ私は誰に託そうか」と考えるきっかけになるような情報を届けることが大事なんです。

仲間といて楽しい、社会に貢献できる、その2つで仕事を選ぶ

起業したときは、お金のためだけではなく、仲間との信頼関係があって一緒に仕事をするのが楽しい、社会に貢献できると信じられること、このふたつがなくては続かないと思い、行動してきました。
自身で「お節介士養成講座」が開ける資格を得る「ケアライフアドバイザー養成講座」も開催。お節介士たちが高齢社会を明るくしていくと期待しています。
私のしていることが必要なことなら続いていく。続いていくならそれは社会が求めているから。そう心を定めています。

参考
http://elder-life.org
ケアライフアドバイザー(シニアお節介士)(職場内お節介士)などたくさんのサービスが掲載されています。

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