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損保ジャパン兼業キャリアデザイン講師の立花さんに聞いてみた

中高年齢層は、人生の「加速度」を感じて、
「いまのうち」にセカンドキャリアの準備をすべき

損害保険ジャパン株式会社(以下、損保ジャパン) 人事部人材開発グループ主査であり、中高年齢者雇用福祉協会(JADA)主任講師 兼 顧問など様々な肩書を持つ、立花一元(たちばな かずもと)さん。損保ジャパン勤続47年、現役でご活躍されている立花さんに、これまでの経緯と学びやキャリアについての考え方、現在の取組までのお話を伺いました。


−はじめに、立花さんのご経歴を教えてください。

私は1975年(昭和50年)に安田火災海上保険(株)(現:損保ジャパン)に入社しました。

現場で営業を32年やってまいりまして、55歳の時に人事部に配属されて、60歳定年、65歳再雇用満了、そして66歳からは再雇用嘱託延長制度を利用し、人事部通算15年目、そろそろいい加減にしろと言われてしまうかもしれませんが、今も現役で働いています。

入社のきっかけは?

面接のときに「この会社って何でも言える会社だな」って思ったのです。

もともと私は「保険」という商材はどの商品も同じようなもので、そこで売上に違いが出るのは“担当者の人間性”だと感じていたんです。そこで「自分の人間性で勝負したいから是非営業に」など、面接で言いたい放題言いました(笑)

確固たる自信があるわけでないけど、勝負してみたい気持ちをぶつけて、それでもOKをくれたということは、「この会社って言いたいことが言える会社だ」と感じたんです。

他にも銀行から内定を頂いており回答を待ってもらっていたんですが、そこをお断りして、今の会社に入社を決意しました。あれから47年経ちますが、お陰様でずっと言いたい放題言わせてもらっています(笑)

ご経歴を拝見すると本当に充実されたキャリアを歩まれているように感じます

出だしは渋谷で一般営業からスタートしました。そこから、本店営業、上野や千葉、四国、埼玉、富山など様々な職場を経て、人生の転機でもある地区業務や代理店出向、その後で当時強く希望していた人事部で仕事をする事となりました。

特に、その中でも、富山支店時代の生き方の選択や代理店出向がなければ人生が変わっていたと思います、社会を知ることができたいい経験です。

「人生が変わっていた」というのは、何か具体的なエピソードがあったのでしょうか?

今から20年前の2002年(50歳)、富山支店での単身2年目の時に、運命の選択をすることになりました。当時は、会社合併の初年度、まさに新会社損保ジャパンスタート元年で、大変多用な毎日でしたが、一方で義母の看護が始まり、土日はJRや飛行機で東京と富山を往復するタイトな週末が続きました。この時に、このまま今の仕事を続けるか、それとも家族を優先して、東京に戻してもらうかの選択をしなくてはならない必要がありました。

結果として、このままでは、ベストな状態で支店経営の責任は全うできないと考え(一方でまだ富山での志は半ばではありましたが)、東京への異動希望を決断し上長に申し出ました。

そして異動内示発表の前日に上長から電話で「異動になるけど東京に戻れるからな。ただし出向だよ」と言われました。

勿論自らの気持ちに整理をつけて、手を挙げて「ここでおしまいでいいですから」と会社側に申告しているわけですが、いざそういうふうになるとその日一晩は、色々な思いが巡って自分の中ではもうものすごく複雑な気持ちでしたね。

−代理店出向でも思い出深い出来事があったとか

代理店への出向が、私の職業人生の二番目の転機です。富山から東京へ戻り、出向先の代理店での業務がスタートしましたが、全てが初体験の毎日。出向って、単なる社外への異動じゃなくて、外で飯を食うって言うんですかね、見るもの、聞くもの、話す人、などすべてが新しいことだらけでした。

当時の代理店の社員の皆さんには、本当に助けて頂きました。今でも感謝しています。

代理店に出向した初日、オーナーに挨拶しに行ったとき「立花さん、中小企業経営者にとって何が一番大切だと思う?」といきなり聞かれました。

そこで私はその時に当社が掲げていた「お客様第一主義ですか?」と軽く答えたのですが、「だから大企業の人は嫌なんだよ!」と返されました。

オーナー曰く「中小企業の社長ってのは、給料日に社員全員にしっかり給料を支払う事。これが一番大切なんだよ」と言われましたね。「なるほどな、会社が違うとこんなに違うんだな」とつくづく思いましたね。自分が井の中の蛙だったと思った瞬間でした。

−ずっと営業畑だったのに、55歳のころ人事部に異動されたんですね。


その後、代理店への出向が満了となり会社に戻り、神奈川県と静岡県を統括する業務部の仕事をしている時、社員からよく仕事や人生の相談をうけることがありましてね。その時に「現場もいいけど、自分にはもっとやらなくてはならないことがあるような気がする」と思い始めました。それで人事部への異動を希望したんですよ。

「会社の組織の中で、現場の長(ちょう)を鍛えることが、当社の将来にとって一番大切で、それを私にやらせてくれ」と上長に言い続けました。

その後、希望が叶い人事部に異動できましたが、同時に直前の人間ドックで発見された初期の肝臓がんの施術を受けることになり、6週間のブランクの間は、職場の皆さんに大変ご迷惑をおかけしました。お陰様で無事復帰しましたが、仕事の方は、今までの現場の仕事とは勝手が違い、日々悩み戸惑いながら、「人の事」を一から考え「社員のために」を実践する毎日が続きました。「健康」であることの有難さを知るとともに、「人」に関わることの大切さを学んだことで、私の新たなセカンドキャリアがスタートしました。以来15年が経ちましたが、人事部での仕事や社内外での人との出会いが、私の職業人生を変えた最大の転機です。