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『からだにいいこと』の編集部を訪ね、雑誌について考える

『からだにいいこと』の編集部を訪ね、雑誌について考える
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今回は、雑誌について書きます。私が人生のうち多くの時間で携わってきたことと、かつて一緒に雑誌を作っていた仲間が独立し、『からだにいいこと』という女性のための健康雑誌を創刊⇒休刊⇒復刊と稀有な体験をされたので、そこの話を中心に。

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雑誌って哀しいことに見かけないですよね

電車に乗っても雑誌を読んでいる人を見かけなくなってから、どれくらいになるでしょうか。それも一人も見かけないことがほとんどです。文庫などは時折見ますが、ほぼほぼスマホですね。ゲーム機でしているのは子供くらいですかね。まあ、スマホです。私がスマホを持ったのは結構早くて、2009年ですから、もう13年になりますか。そのころは、まだ車内で雑誌は読まれていたのだろうか。忘れました。

かつては、売れる雑誌の発売される日はその表紙で席が埋まっていたり、網棚にマンガ誌があふれていたりしました。若い人に言ってもわからないですよね。ただ、スマホに雑誌が時間を取られたのかというと、まあ、そうも言えないところがあるようで。以前、何かの調査で“車内でスマホを見る多くの人は以前寝ていた人”というのがありました。

雑誌を含んだオールドメディア(失礼な言い方ではありますが)と言われるものの衰退が著しいですね。サイトなど競合のせいもあるのでしょうが、自らに問題を抱えているようにも思えます。環境(顧客が漠然としてはいるが求めていること)の変化に対応しきれていない。現場の努力と成果が比例せずにいるのでしょう。現場にいない者が言うことではないですね。すみません。

雑誌は、主に販売売上と広告売上とで成り立っていました。一番健全なころは売上比率65:35%といわれ、広告部からのもっと広告を入れてほしいとの要望を断ったりもしていました。まあ、昔話ですね。

検索できるWEBのなかったその頃の編集部は、ライターの取り合いで、優秀な編集者×優秀なライターで楽しいアイデアを持つ人や魅力的な商品を作る人を開拓していったものです。

コンテンツの基本は人、だと私は思います。人の営みが歴史を作っていますから。それが人を忘れると、商品やコツだけという表層を紹介していくことになる。そもそもの土台がなくなるわけです。深みがなくなると平準になりますな。どこも同じように見えてしまいます。

雑誌の販売売上は、1997年がピークで1兆5,644億円、それが2020年5,576億円と1/3です(出版科学研究所調べ)。広告売上は、2005年で4,842億円あったものが2020年に1,223億円と1/4です(電通調べ)。これでは、ビジネスモデル自体変えなければなりません。

書籍は検討していて、3年連続プラス成長です。特に、電子コミックの売上は21年4,114億円で20.3%増です。コミック以外の電子書籍は449億円です。ただ、紙も児童書、学参などが好調だそうです。(出版科学研究所調べ)

雑誌だけがやられている感じです。でも、雑誌とか紙にこだわる必要もない気がします。雑誌はmagazine、弾倉や武器倉庫の意味もあります。と考えると、雑誌は「知という弾丸の倉庫」でしょうか。知という弾丸で本物の弾丸を打ち砕く。

メディアは、mediumの複数形。つまり、中間。人と人を繋ぐ中間。人の現実と理想の姿を繋ぐ中間。この中間はすべて、成長につながるきっかけです。きっかけ創りなら、情報である必要さえなくなります。結局は、誰のどうなりたいに貢献するのか。形は自由でいいのではと思います。

ただ、逆に紙の良さにこだわるというのも悪くはありません。これからの時代、これがよくてそれはだめでなく、これもいいそれもいい。人の求める形、求める大きさで、成り立てばいいのではと思います。多様に展開し、人が選択するということですね。ただ、メディア特性に徹底的に切り込むことが作り手には必要なのでしょうが。

前説が長くなりました。さて、さて、出版社をお訪ねします

ということで、『からだにいいこと』の代表取締役社長の奥谷裕子さんをお訪ねしました。会社は神保町にあり、私もこの街に永く勤めたので、あの店はまだあるなとか、ああなくなったのねとか、思い出とともに到着です。 

ほんと、ご無沙汰ですね

「そうですね、伊藤さんの定年の集まりの時以来ですか? だとすると」 

そうか、10年ですか。困った。奥谷さんは僕より一回り下ですか?

「もうちょっと下です」 

ですか。では、まず雑誌の休刊とすぐの復刊についてお聞かせください

「2004年12月に創刊して、20年8月休刊、そしてその12月に復刊です。復刊して1年ちょっとですね」 

わずか、4か月で復刊なんて聞いたことがない。忙しかったでしょう、よくできましたね

「いろいろありました。ほんとうにいろいろ。一つのハンコがなければこの話はなかった、今思えばそんなことも。もともとは雑誌編集と広告を受託していたのですが、当時の出版社から発刊を止めたいと話があって、弊社の代表が“なら解散しかないな”ということになったのです。4人で独立したのですが、その時は私とその代表の2人が社に残っていました。でも、もったいないなと私は思ったのです」 

そこから奮闘が始まった?

「応援していただいているアンバサダー(レポーター)が650人くらいいらして、その方々にはまず最初にお伝えしようと。そうしたら、熱いメールをたくさんいただいたのです。”なくなったら困る“”何を頼りにしていったらよいのかわからない“って。それまで正直、自分たちに確固たる自信がなかったのです。健康情報は役に立つかどうかという機能的な存在で、愛着のブランド足りえないと思っていたので。そんなに熱いメッセージをいただけるとは、驚きました」