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巣鴨、赤パンツのお店は、 顧客の声がチャンスを生んだ

巣鴨、赤パンツのお店は、
顧客の声がチャンスを生んだ(1)

「中小企業にとって、一番大切なのはいかに事業を継続できるかですね。利益はその次です。中小企業は、なにより続けることです」
東京・巣鴨の生活衣料品「マルジ」(「おばちゃんの原宿」の赤パンツのお店と言ったほうが早いかもです)常務取締役の工藤秀治さんにお話をお伺いしました。

巣鴨商店街などの写真

工藤秀治さん

株式会社丸治 常務取締役
立教大学卒業後、大手スーパーマーケットに就職。家業のマルジに移り、経理担当。“おばちゃんの原宿”を広く知らしめる。67歳


“幸福を生む店”が
いつも私たちとともにいる

冷戦が終わって、中国の市場経済化が進み、日本はデフレになりました。それまで、ディスカウントのマルジで10年連続2桁成長してきた。結果、売上は3倍に。でも、安いだけでは難しい時代になったと思ったのです。低価格戦略、コモディティ化の限界ですね。どうしたら、この状況から抜け出せるかと。

なるほど、そこが一つのポイントなのですね。そもそものスタートは

父が北海道の岩見沢から巣鴨に出てきて、店を開きました。岩見沢でもうまくいっていたのに、です。なぜ出ていくの、と言われたそうです。最初は10坪からのスタートで、その後拡張しました。裸電球の時代に蛍光灯を入れました。周りから、「なんてもったいない、そんな明るい店」と言われたそうです。セルフ式を導入したりと、新しいことをしようという意欲が強かったのでしょうね。

父は、業界の第1回目のヨーロッパ視察にも参加したそうです。そこに参加した人は、専門店を指向する。逆にアメリカに行った人は、スーパーマーケットに向かう。後者には、ダイエーの中内さんやイオンの岡田さんがいらした。

私は大学を出て、スーパーの婦人服部に勤めていた。今でいうSPA、思えばGMSでユニクロみたいなことをしたかったのです。でも、そのころマルジで経理担当が定年退社しました。父から「お前来ないか」と言われました。今の仕事もおもしろく、ちょっと考えました。そう言ったら,父に「なんだ考えるのか」と返されましたけど。
店に「幸福を生む店」という額が、今もかかっているのです。北海道出身の金子鷗亭先生の揮毫です。小さいころからそれを見ていて、頭の中にありました。そういう店を目指そうと決めたのです。

ただ、4つ上の兄が継いでいたので、兄弟でうまくいった社は少ないよなあという心配がありました。弟が言うのもなんですが、兄は実行力があり、勉強家です。私もそれまで営業でしたから同じ仕事は兄弟で必要ないと、経理を3年間、夜学で学びました。

兄弟経営のいろいろな本を読んでようやく出合ったのが、堺屋太一の『豊臣秀長』でした。それで、兄の補佐役に徹しようと決めたのです。兄弟で我慢しあうのは難しい、いいときほどダメになる。そこで、「親方が褒められたら自分が褒められたと思え」「自分が褒められたら出過ぎたと思え」を実行しました。そして、今があるわけです。ああ、こんな話、兄にもしていませんよ。

3度続いた“赤パンツほしい”の声
そこから新しい歴史が

すごいですね。それでヒット作“赤パンツ”はいつ発明されたのですか

1993年です。ずっと、お客様の声をクレームでもいいから提出するように、バイトさんを含め全スタッフに徹底していました。日報も毎日の提出です。声には「5Lの肌着はないか」「年寄りは背がまるまるから肌着は背中が長いほうがいい」。みんな品ぞろえしました。

そのなかに、「赤パンツが欲しい」とあったのです。社長と相談しました。「赤パンツかあ、どうなんだろうねえ」。それが3回続きました。じゃ、とりあえず入れてみるか。大阪の問屋さんに在庫があったのです。在庫があったということは、あまり売れていなかったのでしょう。50枚、奥の棚に押し込みました。

しばらくして、店員から「赤パンツありますか」と言われ、「あるじゃない、奥に」。なんと、売れ切れていたのです。3か月で完売です。なんでも、健康雑誌に“赤い色が丹田のツボを刺激し、血流が良くなり冷え性に良い”と載っていたそう。

しかも、赤は魔除けにもつながる。問屋さんの在庫を売り切り、翌年オリジナルの赤パンツを売り出しました。結局、200アイテムにまで広がりました。

2004年の申年には、“赤い下着を目上の人に贈ると、一生シモの世話にならない”と話題になったのです。まあ、大評判でした。あるデパートさんも参入したのですが、売り切れた。そこがまた、テレビの取材で“マルジさんにならあります”と言ってくださった。ありがたいことです。

そのまま、大ヒットですか

次の16年には参入が多くて、どこもたくさん作りました。だが、売れるのはせいぜい半年。大量に残った在庫をうちに持ってこられました。ある程度は引き取らせていただきましたが。まあ裾野が広がったと、納得しています。

最初はお年寄りがお客様でした。それが広がって、部活で勝負時にはくとか、巣鴨とげぬき地蔵のお土産とか、初詣とかですね。「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督もオリンピックの決勝戦で、はいたそうですし。

それに別の広がりもあるのです。赤パンツの端切れを捨てるのがもったいないと山形の工場から持ってきて、“幸福のおすそわけ”と書いて無料で店頭に置いています。最初はスタッフで作っていたのですが、評判がよく途中から障がい者支援のNPO法人に作っていただき、製作費をお支払いさせていただいています。また、お客様が生地でいろいろな作品を作って送ってくださる。それを販売して、東北の支援に役立ててもいます。幸福の輪は自然と回っていくものですね。

端切れもそうですが、うちは基本手作りです。マルジほのぼの新聞というチラシも、40代のパートさんが作ってくれています。赤パンツが売り切れているときも、“申し訳ござらぬ、品切れでごザル”と私の拙いイラスト付きでごめんなさいしました。お客様も笑って許してくれました。

東京・巣鴨の生活衣料品「マルジ」商品1