現在75才、前職とは全く違う分野で、セカンドキャリアを築くという生き方

今回ご紹介するのは、宮本光一さんです。宮本さんは60才の時に、新卒で入社した大手百貨店をすっぱりと退職されました。75才になった今、ホームセンターの資材課でのお仕事の他に、デイサービスの送迎の運転、シルバー人材センターを介しての大工仕事と、お忙しく働いていらっしゃいます。宮本さんに、これまでのお仕事の経緯やこれからの過ごし方についてお話をおうかがいしました。
■まず初めに60才までされていたお仕事について教えてください。
大手百貨店に入社して3年目から、法人外商部に所属していました。交渉事が好きで、自分から企業相手の営業の部署を希望しました。郊外の支店から始まって、本店に異動になり、58才まで本店に勤務していました。58才の時に、子会社に異動になり、そこで取締役管理本部長を2年間務めて、60才の時に退職しました。
■60才で長年続けてこられたお仕事から退職されることに迷いはなかったのでしょうか。
仕事を続ける気力や体力があったかもしれませんが、いつまでも年寄りがのさばっていてはいけないと思っていました。若い人に席を譲るべきなのです。
それとやりたいことがありました。もともとモノづくりが好きで、自分の手で家を建てたかったのです。ところが母の介護をしなくてはならなくなり、2年半は着手できませんでした。母の介護が終わった63才から2年間かけて、富士山が見える場所に家を建てました。
■えっ!ご自分の手で家を建てたのですか?
はい、そうです。自分で家を建てるというのが夢でした。本当は日本建築を造りたかったのですが・・・。身体が動く65才までに家を完成させたかったので、建てるのが簡単なログハウスにしようということになりました。
敷地の整備も自分でやりました。敷地に軽自動車位の大きな石が3個あって、それをどかさないといけない。それで、石割という作業をするのですが、その作業が特に楽しかったです。中古のユンボも購入しました。こういうことをやりたくて仕方なかったのです。ログハウスの組み立ては、ログ材が長くて重いので、大工さんに一緒にやってもらいましたが、内装や外装はコツコツと一人で半年間位かけてやりました。庭を造るのも大変でした。
でも、さあこれから楽しもうという時に、妻が病気になってしまい、今度は妻の介護を4年半しました。昔はログハウスによく行っていたのですが、一人で行ってもつまらないですので、昨年ログハウスは処分してしまいました。
■今のようなお仕事の形態になった経緯を教えてください。

私は、何かやっていないとダメなタイプで、ぼーっとしているのが苦手です。
妻が亡くなった後に、知り合いからデイサービスの運転手をやってくれないかと言われました。運転するのが好きなので、引き受けました。デイサービスの送迎を週3日やっていたのですが、今は週1日です。モノづくりも好きで、ある人からホームセンターの資材課の採用試験を受けてみないかと言われて、受けてみたら74才で採用になりました。ホームセンターで週2~3日仕事をしています。1週間のうち、水、木、金、土はこの二つの仕事で埋まっています。
シルバー人材センターにも登録していて、大工仕事が舞い込むので、日、月、火に受けています。1週間フルで働くこともあって、クタクタになります。シルバー人材センターからくる大工仕事は、専門の大工さんがやらないようなスキマの作業で、手間がかかるものが多いのです。でも、70代、80代、90代の一人暮らしのお客様が困っているのを見ると、引き受けてしまいます。そうすると、お客様にすごく喜ばれます。喜んでいただけると、自分の生きがいになりますし、お金も入ってきます。私の住んでいる八王子のシルバー人材センターの登録者の平均年齢は74才で、登録者は2600人いるそうです。しかし、大工をやれる人が少ないのです。今、私は引き受けて着手していない大工仕事を数件抱えています。
■今のお仕事と以前のお仕事の取組み姿勢の違いはどのようなところにあるのでしょうか。
私は、子どものころから、マンガや絵を描いたり、工作したりするのが好きでした。模型も好きで、木造で戦艦大和を何十隻も作ったりしました。自分でいろいろ考えて作るのが楽しいのです。昔、仕事を選ぶ時には、どちらの方向に進むか迷ったほどです。シルバー人材センターから、大工さんでもできないような仕事がくることがあるのですが、10日間位どうしたら安く早くちゃんとできるのかを考えます。チャレンジしてできた時の喜びはすごく大きいです。誰かに強制されているわけでもなく、自分が好きでやっているのです。何か新しいことをやろうといつも考えています。
一方、百貨店での仕事はストレスが多く、48才で糖尿病になりました。私は、法人関係の仕事に従事していました。いくつもの百貨店と競争する入札もあり、人脈を作ったり、どうやったら勝って受注できるかを考えたりしていました。百貨店時代は、休みもなく、家庭も顧みずという感じでした。でも、営業成績で、業界一を10年間続けられたことが、私の誇りであり、自信でもあるのです。