連載コラム第1回 「老年よ、大志を抱け」

福生吉裕先生Yoshihiro Fukuo
1.老年よ、大志を抱け
65歳以上を老年期とすれば、令和4年現在、現在国内の人口の28.9%以上を占めています。約3600万人。平均寿命は男性81.47才、女性87.57才。
一方で、国民総医療費は44兆円にまで達しました。今後の少子高齢化に伴う労働人口の低下がせまり、団塊世代が75歳に達する2025年には58兆円に達するとされています。
これまでの社会保障システムの維持にははなはだ困難な要素が多いのですが、せめて国民皆保険制度は次の世代まで残したい。それには「老年が大志を抱いて、未曾有の世界に突入する勇気こそ大事である」と思うのです。
では「大志」とは何を言うのか。それは「死ぬまで活きる」ということで、活き活きとして動き出来れば税金を払って活きたい。私の父は95歳で亡くなりましたが、94歳までは税金を払っていました。
流石に医師としては働けませんでしたが、駐車場経営、マンション経営などでそれなりに自立して生活をしていました。旅行、俳句、茶道具を好み子供からの扶助は一切受けませんでした。サラリーマン医師の私の収入をあてにはしていなかったのです。葬儀の費用も別に貯えてあったので私の負担は本当に少なかった。今思うと「子供はあてにしない」という大志を持った父親であったと思います。
2.医療費の世代間格差を少なくする努力を
ここで全国の入院ベットの占有率を見ると、1984年では75歳以上の後期高齢者は約2割でしたが、2020年では約55%のベットが後期高齢者に埋められていました。団塊の世代が75歳以上になる2025年では、更に患者層は一変してしまうのもうなずけます。
現に2019年の医療費の38.8%は後期高齢者が消費していました。そして2025年には75歳以上が半分を消費すると予測されています。この頃には、あのピケティ(フランスの経済学者で、パリ経済学院設立の中心人物)もびっくりの、世代間の医療費負担格差が問題となってくるのは火を見るよりも明らかです。若い世代から「後ろ指」を指されて生きたくはない。「高齢社会」ならぬ「幸齢社会」でありたいと思います。
私が思うには、意識が無いのに胃瘻や人工呼吸器による延命はご免こうむる。きっちりと「無駄な医療は行わなくていい」とリビングウイルに示しておきたい。それまでは自分の身体は自分で守っておくようにつとめます。そのガイドラインとして考えられるのが「未病」の概念です。
3.「未病」状態を理解しよう

「未病」状態とは、「健康」と「病気」の間のことをいいます。
誰でも60歳をすぎれば、どこかガタが来ているものです。健康と病気の間の「未病」の状態が続きます。検診で異常値が出ているのに、身体は痛くも痒くもない。逆に、身体は痛いのに、検診や人間ドックでは異常は見当たらないなんてこともあります。
慌てず受け止め、病気にむかわしめないように努力をする。これが「未病ケア」であり、ここに大志を見いだすのも団塊世代の知恵ではないでしょうか。
4.「古典未病」と「現代未病」
中国最古の医学書「黄帝内経」には「聖人は巳病を治すのではなく、未病を治す」という言葉が記されています。これは「未病を治すのは名医である」ということで、古典的な未病の考え方です。未病は名医にしか扱えない難しい秘伝であるということを表しています。
この「古典未病」では、未病を「病気に向かう漠然とした心身状態」のことを言い、身体の状態を探るには四診(視診・舌診・脈診・触診)の方法でした。
私が提唱する「現代未病」は「未病を治す主役は自分」、つまり国民一人一人が未病の医者になろうというものです。まずは基本的医学知識の普及が課題ですが、幸いなことに現代は画像診断、血液・生理検査などが発達しています。
「現代未病」では更に「未病Ⅰ期」と「未病Ⅱ期」とに分類して考えており、Ⅰ期を(自己管理期)としています。
この「未病Ⅰ期」の過ごし方としては
(1)養生(腹八分目)
(2)行動変容による自己管理(ヘルスケア、IOT、AI活用)
(3)運動療法、栄養管理法
(4)サプリメント
などの対処法に勤めます。
「未病Ⅱ期」は医療勧奨期、軽医療の段階に入り、機能性食品や漢方薬なども進めます。
5.自分の身体の医者は自分
一般生活者にとっては国民皆保険制度ができた60年以上前と比べ、健康及び医療知識、情報量は格段に増えています。この健康民度の上昇をもっと活用することで、自助で改善できる心身状態(=未病)を認識し、コントロールすることができるようになります。
例えば、スマートフォンの出現は多岐にわたる心身状態の客観的把握が可能になりました。体重や食事管理、睡眠の質管理、水分補給のアラート、自宅トレーニングなど、様々なアプリが安価な料金で利用できるようになっています。これらは総じて「未病ケア」アプリと言い換えることもでき、今後もますます進化を遂げることでしょう。
人生100年時代を幸福なものにするには、自分の身体を自分で管理することで、いかに「未病時代」を乗り切るかにかかっていると言っても過言ではありません。
一般生活者にとっては国民皆保険制度ができた60年以上前と比べ、健康及び医療知識、情報量は格段に増えています。この健康民度の上昇をもっと活用することで、自助で改善できる心身状態(=未病)を認識し、コントロールすることができるようになります。

東陽町で、ちょっと一杯
お酒の好きな福生先生にインタビュー
- 記者:
先生、このお店、気軽に飲めてなかなかいいですね。
今回は連載第一回ということでかなり真面目な内容になりましたけど、もう少し先生のことを皆さんに知ってもらいたいですね。なので、まずは自己紹介をお願いします!取材の時よりも顔が赤くなっていますから写真はやめておきましょう(笑)
- 福生先生:
そうだね、いいでしょう!自己紹介しましょう!
- 記者:
(大丈夫かな・・苦笑)
- 福生先生:
私、出身は三重県でしてね。四日市の生まれです。
四日市は東海道五十三次の宿場があって、先祖代々そこの宿場の取りまとめ、「問屋場(とんやば)」をしていたと聞いています。明治になって宿場がなくなったので、祖父が医者になりました。だから医者は私で三代目ですね。四日市で高校まで育ちました。
- 記者:
問屋場(とんやば)って、あんまり聞いたことのない言葉ですね。
- 福生先生:
-
そう、問屋場といっても今の問屋さんではなくて、問い屋、すなわち駅と警察と郵便局を兼ねたようなものだったようですね。明治になって体制が大きく変わり、これはいかんと祖父がドイツに留学して医者になったと聞いております。
実は私の実家は「東海道四日市宿」として市民の皆さんに活用してもらっています。この中に「未病」コーナーもあって、土日は無料で開放していますので、皆さんもお時間あれば是非おいでください。
- 記者:
いろいろ勉強になります、ありがとうございます!では先生は、最初からお医者様になろうと思っていたのですね。
- 福生先生:
ええ、ただね、父は耳鼻科でね。私、サウスポーなんだけど、当時の手術器具は殆ど右利き用だったため、私は耳鼻科を諦めて内科になったんですけどね。
- 記者:
へー!そういう理由で専門が変わることがあるんですか?「巨人の星」で星飛雄馬が右利きなのに左投げに変えられたのは知っていますけどね。いろいろと面白い話ありますねー。
- 福生先生:
そうね。もっと面白い話たくさんあるからね、じゃあもう少し飲もうか・・。