女性植木職人の元村貴久子さんが歩む“これから” 

(有)城北造園代表の元村貴久子(もとむら きくこ)さんは、30代で植木職人の道へと進みました。シングルマザーとして二人の息子さんを育てながらのこれまでの道のりは平坦ではなかったはずです。そして、52歳になられた現在、少しずつ新たなステージへとシフトチェンジしようとしています。

元村さんに「これまでのこと」「現在」、そして「これからのこと」をおうかがいしました。 

植木職人の元村さん
会社の代表として、また植木職人として働く元村さん

“子どもたちを何としてでも育てていかなくては”という思いから、飛び込んだ世界 

元村さんは、秋田県出身で、東京農業大学に進学されました。
はじめから植木職人を目指していたわけではなく、20代にさまざまな経験をしています。 

私は、高校まで秋田で過ごしました。遺伝子組み換えや品種改良などに興味があって、大学では農学部に進みたいと考えていました。しかし、“地球の救世主”というキャッチコピーに惹かれて、東京農業大学の造園学科に進みました。

大学では都市計画の研究室に入ったのですが、インターンのような形でゼネコンの現場を体験したときに、“なんか違うな”と感じて悶々としてしまいました。大きな組織の歯車として仕事をするのに向いていないというか、大した能力もないのに“自分らしく生きたい”と思っていました。それで、卒業後は造園関係の小さなコンサル会社に入りました。

その後、元村さんは結婚し、それを機に残業の多いコンサル会社を辞めました。
家庭生活を中心にして、設計会社でパートをしていたそうです。しかし、そういう生活は長くは続かず、お子さんにも恵まれましたが、離婚してしまいました。 

小さな子どもを抱えて自分で生計を立てていかなくてはならないと考えた時に、「植木屋だ!」と思ったんです。
それまで働いてきたコンサル会社や設計会社だと残業があり、子どもの保育園のお迎えに間に合わないんです。植木職人なら、日が暮れれば仕事から帰れると思いました。 

それと、経済的に子どもたちを養っていくのに、男性と同じ仕事を、男性と同じだけやっていけば、生活が成り立つだろうとシンプルに考えました。高所恐怖症だけど、高い木に登れと言われれば、登りますという覚悟でした。 

それで、大学時代の同級生に城北造園を紹介してもらいました。 

木に寄り添うことの醍醐味を感じながら、仕事と向き合っている 

そんな事情で始まった植木職人としての仕事ですが、仕事との相性はどうだったのでしょうか。 

実は、私は高い所が苦手な上に、ジメジメしている所も苦手なんです。真っ青になりながら草むしりしていて、「大丈夫?」って心配されていました(笑)。 

でも、やはり木や植物が好きなんです。この木と歳月を共にしたいなと思いながら、木に対してお友達のような感覚で手入れをしています。「それでよく植木屋さんやっているね」と言われるくらい、木や植物の名前を覚えることには無頓着なんですが、木に寄り添いたいという気持ちがあります。
木や植物は私を受け入れてくれているような感覚があって、手入れをしながら木や植物に癒されていると感じます。だからこそ、大変なことがあっても植木職人を続けてこられたのだと思います。 

それ以外に、植木職人として、ご自身の特色はどのような点にあるとお感じになっていますか。 

男性の植木職人って、話すのが苦手な方が多いんです。
依頼主のお客様とうまくコミュニケーションがとれず、お客様のニーズがうまく引き出せないままトラブルになってしまうこともあります。予算や仕上がりのイメージなど、お客様の希望をしっかり引き出すことが大事だということに気づいて、私はそこをしっかりやろうと思っています。

最近は女性の植木職人が増えてきていますが、お客様とコミュニケーションをとるのは女性のほうが得意かもしれません。私がお客様のニーズを汲み取って、技術の高い男性陣に「ここを切って」とか「あっちをもう少し短く」と指示しながら作業するという流れが、効率がいいんです。それに、40歳くらいのときに高い木に登っていて足がつったことがあるんです。
それ以来、2階建て以上の高さの木の剪定は自分ではやらないことにしています。そこは役割分担で男性陣にお願いするようにしています。また、依頼主が女性で、作業中に家の中にまで入る必要があるときなどは、女性職人の私がいると重宝がられたりします。

植木職人という仕事との相性も良く、コミュニケーション能力を武器に着々と仕事に取り組まれてきた元村さんですが、仕事の面でも、子育て面でも、順風満帆というわけではなかったようです。 

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